栄光の喜び
◆【古事記アドバンス】(3月開始)につきまして、掲示板に載せましたので、「透視」修了の方、「空」アドバンス受講修了の方や、受講中の方はご覧下さい。
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さて、今日はちょっと長いブログになりますが、重要な根本を復習しておこうと思います。(自分自身のためにも)
あらゆる【いのち】(霊魂)の目的は、たったひとつ!
生きとし生けるもの全ての目的は、できるかぎりの【栄光を体験】する、ということです。
話したり、考えたり、行動するのも、みな、この目的のためです。
【いのち】(霊魂)がすることは他になく、【いのち】が望むことも他にはありません。
そして、それには、先ず、【内的な栄光】や尊厳なくして、外の栄光は創造達成できません。
この目的の素晴らしいところは、それが無限であり、決して終わりがないことです。
できる限りの【栄光】が体験できたら、その満足のあとにもっと偉大な【栄光】を思いめぐらすはずです。
これが全ての欲求の根本性質です。
【栄光】を体験すればするほど、もっと大きな【栄光】の可能性が開けるし、その可能性が開ければ、あなたはさらなる【栄光】を体験できる。
【栄光】とは、文字どおり、「栄える光」「弥栄なる光」のことです。
自分探しという言葉が流行しましたが、それは【いのち】の直接の目的ではありません。
自分を探して発見するのではなく、新たに【自分を創造し直す】ことです。
自分が何者であるのかを探すのではなく、【何者でありたいのか】を決め続けることです。
【栄光を体験する】という、たったひとつの目的を永遠に実行し続けるために、自分自身を永遠無限に【造り直す】ことです。
常に、原初に戻り、原点回帰し、アセンションし、原初の自分になぞらえて、【自分を創造し直す】ことです。
私たちの【いのち】(霊魂)は、全てをすでに知っています。(頭は知らないけれど)
でも、知っているだけでは充分ではありません。
【いのち】(霊魂)は体験したがっているからです。
【いのち】(霊魂)が満ち足りた存在であることや、愛であふれた存在であることを知ってはいても、それを表現して示すことがなければ、空理空論(概念)にすぎない。
誠実であると知っていても、誰かに誠実にしなければ、「空」の自意識があるだけです。
自分についての偉大な概念(空理空論)を、【実体験】に変えたい、それが【いのち】(霊魂)の唯一の欲求です。
そのために現実創造をするのです!
まず、原初において存在したのは「空」、つまり「いのちのすべて」それだけでした。他には何も存在しませんでした。
その「空」「いのちのすべて」は、自分自身を知ることができませんでした。
なぜなら、他には何もないからで、他に何かがなければ、「空」「いのち」もないということになります。
「空」「いのち」は、それだけでは充分に自分を知ることができなかったのです。
概念的には知っていても、【体験的】には知り得なかったのです。
そこで、自らを【体験的】に知りたいと激しく欲求しました。
栄光とは?栄えるとは?それが【どんな感じ】なのか、知りたがったのです。でも、不可能でした。
なぜなら、【栄光】という言葉自体が【相対的】だからです。
「空」「いのち」は、【栄光ではないもの】(つまり自分の本質ではないもの)を創造して、それがどんな感じかを先に知る必要があったのです。そのために、自分とは正反対のものが存在する必要がありました。
「空」は、「たったひとつ」であったものから、まずこの相対的な「二つ」を外へ動的要素として創り出し、合計で三つになりました。(原点の「たったひとつ」は無限に観察者であり続けます。)
このようにして、「空」「いのち」は、自分の【栄光】を知るために、「栄光ではないもの」と向き合うことをしなくてはなりませんでした。
これが【相対性理論】の目的であり、物質次元での【いのち】の目的であり、二極の目的です。
自分自身を定義し、創造するのは、「自分ではないもの」によってなのです。
この「自分ではないもの」「栄光ではないもの」、それが【不安・枯渇感】ということです。
そして、「自分自身を創造しない」という実体験があってこそ、「自分を創造する」という体験もできるのです。
ですから、今まで「自分を何者として創造するのか」をやってこなかったことを、悔いる必要はありません。
【自分を何者として決めるか】、その「決定者」である前に、「決定者ではない」ことを体験する必要があったのです。
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