いろいろなこと
今週は、古事記の原稿を書き上げた脱落感から、一気に疲れが出たようで、ここ二日ほど寝込んでいました。
そして、さきほど、夢うつつの中で、大事なことに気付かされ、それを書くようにと言われましたので、忘れないうちにUPさせて頂きます。
◆仏教用語の【空】は、光の圧縮のことであり、【いのち】の圧縮のことであり、ゼロポイントの圧縮のことでした。
ゼロポイントとは、『弥栄に誠を尽くすぞ!』という【いのち】の欲求のことを指すのです。
(古事記は、仏教用語や物理科学用語を、誰にでも分かりやすく、非常に明快に教えてくれるものだと痛感しました。)
◆そして、以下は、ある方から送って頂いたものですが、糸井重里さんと、元・世界銀行の西水美恵子さんの対談です。
【糸井】
「人々のためになること」って自分のものではないじゃないですか。
主役は受け取る人のほうで。
なのに「ためになることをする」ほうは、まるで自分のものをあげるかのように、配るんですよね。
だからその「配る」という行為は、配る側の精神を腐敗させてしまいやすいものだとも思うんです。
人間にはその腐敗に対して「まずいぞ」と思う気持ちもあって、それが人の持つ、知性だと思うんです。
‥‥でも、頭ではそう考えられても、
「配る」ときのこわい感覚は、抜けなくて。
【西水】
その感じは私もよくわかります。
そのときの「畏ろしい」という感覚そのものに、すごい力があると思うんですよ。
「畏ろしさ」があるから、それを「配る」私が、自分を無にして、相手の言葉を深く深く、聞く姿勢になることができる。
そして、「畏ろしさ」があるから、相手に受け入れられたときにも、上下の関係ではなく、「自分も学ぶし、私からも学んでいただく」という対等のやりとりを選ぶことができる。
私の思う「配る」は、そういう感覚です。 同時にそこには、自分のためのものはひとつもないから、寂しくもあるんですけど。
【糸井】
寂しいですよねぇ‥‥。
だけど、その寂しさも含めて、なにがそれをさせるんでしょう?
そういう「配る」行為を西水さんにさせるものは‥‥
【西水】
うーん‥‥それは‥‥
どこからか湧いてくるエネルギー、でしょうか。
それこそもう「たましい」という感じで。
◆最後に、ものすごく不思議な現象をご報告させて頂きます。
3日前に、自宅の鍵をコートの右ポケットに入れてモーニングに行き、戻ってから鍵を出そうとしたら、ポケットの布を通過した状態になっていて、裏布のほうへ入りこんでいました!
(上の写真が、そのコートのポケットです)
もちろん、ポケットの布はどこも破れていません。裏布も破れておらず、どこからも取り出せません。
何人かの知人、個人セッションにいらっしゃった方にはご覧頂きました。
軽いコートなので、少し暖かくなったら、各地に着ていき、実物をお見せします(笑)
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