本当に 【見えないもの】
よく、「頭では理解できるのですが、なかなか腑に落ちない」という表現をする方がおられます。
でも、それはやっぱり【頭でも分かっていない】のです。本当に頭で理解したなら、腑に落ちるからです。腑に落ちない、つまり、頭でも分からないのは何故でしょうか?
それは、自分個人の信念や思い込みを前もって握っているためです。ですから、本当のことを聞いても、すでに信じている考えを通じて聞くために、腑に落ちないのです。
私たちは、見えないモノやコトに興味を持ちます。
特にスピリチュアルと呼ばれる領域に関心がある人は、見えないものに興味深々なのです。
この世的には見えないものが、この世的に見える状態になること、それが創造であり現実化ということですので、誰もが好ましい現実を受け取るには、【見えない根源】を人工的に(エゴ的に)操作したいわけです。これ、無駄な努力ですが・・・。人工的にジャマをすることになるだけです。
ポジティブな思考になったら、あるいはポジティブなイメージや言語や祝詞を口にすれば、あるいは特殊な儀式や浄化法を施せば、好ましい現実になると思っていたりします。
ところが、そういうモノは、やはり見えている領域に属すのです。ですから、創造の根源ではないのです。
思考だって、各自の頭の空間に泳いでいる言語を実際に見て、それを同時に口にしているわけです。つまり、思考も見えるモノであり、ほとんど物質に近い創造物です。創造された側のモノは、創造の根源ではありません!!
本当に見えないもの、それは言語化さえできないのです。
虚空とか、無限とか、源とか、愛とか、意識とかいうけれど、それは通常は見えないのです。ですから、根源を自覚し、根源そのものに一体化し、根源それ自体としての強い自覚をするしかありません。万物の根源としての強い自覚から生き、動き、話し、意図することしかありません。
ところが、それさえも本気で日々意識していくと、フッと見える瞬間が来る場合があります。限りなく自分という存在が「内なる中心意識」として深まっていくと、一瞬、本当の自己自身(根源)を垣間見ることも起きます。(もっとも、それを観たからといって、別に大したことでもないし、素晴らしいのでもありませんが)
ある日、大阪にて、一瞬、それが垣間観えたとき、Manaという観点からは「透明な影」として観じられ、虚空というものが本当に全ての創造の宝庫だと理解できた瞬間でした。そして、私の絵の先生も似たような体験が起こったそうですが、先生にとっては、虚空は幾何学的なものとして観えたそうです。各自にとって理解しやすいように観せてくれるのかもしれません。
◆現実とは、虚空の影がそのままカタチになったものです
(例えがうまく見つかりませんが、強いて表現するなら、上の画像のような感じでしょうか。テーブル下の影のほうが根源であり「おおもと」です)
ヒーリング・ラウンジStarHeart(スターハート)
〒464-0067 愛知県名古屋市千種区池下1-10-8
TEL : 052-761-4344
facebook : スターハートのfacebookはこちら