本質を 「観る」 こと = 「悟る」 こと
分からなくなったら原点に戻れ。つまり「中心」に帰れ。モトのゼロに戻れ。要は、ついさっきまでの画像を全てリセットすることをオススメします。
あらゆる全てが、中心のゼロから生まれてゼロに帰っていく。そして、また生まれ直していく。生まれ直しの連続が「しんか」なのです。「しんか」とは深化のこと。これが弥栄発展なのです。たった今も原点へ戻ります。ゼロという中心へ意識を戻します。
全ての原点(中心)という言い方は、機械的な表現に過ぎません。いくら言われたって、頭には分かりません。頭は機械的な処理が任務だからです。頭で知ろうとすることや、事前に知ろうとする無意味な努力を捨てて下さい!!全ては体感していくしかない。実感して味わっていくしかないわけです。味わうことなく【知る】ことは不可能です。
[至福]とは何か?
それは原点(中心)(ゼロ点)の【質】のことを言うのです。中心のゼロ点から[全てのいのち]が生み出されていくのだから、生み出された[全いのち]が至福という【質】です。[至福]とは、万物万我の中を貫通する[いのち]の【質】のことです。そして、この【質】を【知る】ことが[悟り](分かり)なのです。【知る】こととは、肉体の五感を使って中立に【観る】(観察する)ことによってです!
私たちは機械的な言い方にとらわれすぎて、【質】を知ることができずにいます。万物のモトである[いのちの質]を知ることが、[本質を観て知る]ということです。いのち自体が至福であり、叡智であり、万物はこれによって養われているのだから、あなたの個人的な諸々の考えによって左右できるものではない。いいかげんに、自我の考えや予測を捨てよ!
至福の中心から[いのち]が今も[リニューアル]し続けている。この[いのち]が、あなたに全てをもたらす。[いのち]は今も動いて流れている。この動きのおかげであなたは至福という【質】を味わえるのだ。それは肉体の[五感]があるおかげだ!五感に感謝です!これを使わないと【質】は味わえない。頭を使うとき、五感は鈍る!!!!!
[いのち]の動き、[いのち]の流れは永遠に続く。至福は無限に続くということだ。[うわべ]のカタチや[表面]の姿を変え、様々な表現の連続をする。この至福の質でしかない[いのち]が万物を創造していく。あなたという個人が頑張らなくても、全ての表面的カタチの中を【貫通】して、存続させていく。この【貫通】のことを【普通】と呼ぶのだ。そして、あなたは[うわべ]と[表面]だけを見て、[いのち]の【質】を観ていない。表面だけを見ているせいで、中味の質が観えていない。水面のカタチに一喜一憂して、水の質を忘れている。
多くの人が、うわべを表現するだけの[思考]や[言語]によってダマされる。言語による[意味付け]のほうに意識が向いて、そこだけを見ている。表面の[仮名]だけに目が行き、内側に流れる[いのち]の【質】、つまり[真名(まな)]に気がつかない。観じていない。(私はここを伝えたいがために、Manaという名にしたのです。)
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【メタモルフォシス81】の修了生の方への[フォローアップ]
ホテルでの残業(自由参加)の時に出た、I氏からのご質問にまつわるフォローですが、今日のブログにも関係しますので、是非読まれて下さい。
『 講座での瞑想の時に出てきた「どんぐり」の画像からは癒やされなかった。でも「神仏」の画像が出てきた時には、この上もなく癒やされた 』(I氏)・・・それは何故?
表面のカタチに対して、過去に私たちは[差別]を教わってきたからです。万物は、至福の【質】が[区分け]されて顕わされているだけなのに、つまり至福表現の[個性化]というだけなのに、[差別]して変質させてしまっているからです。「どんぐり」のフリをしている中味も、「神仏」のフリをしている中味も、全く同じ【質】の至福でしかないのです。
この差別意識こそがエゴです。変質した神なのです。素直な神ではないのです。でも、今まで気付いていなかったからこそ、「今ここで気付く」というゲームができるのですが・・・。この無意識に持っていた[差別]に気が付き、中立な至福の視点を取り戻していくと、「どんぐり」も神仏だと分かってきます。同じ[いのち]が流れていますから。
[いのち]はたったひとつ!!万物を通じてたったひとつなのですよ!!その[いのち]が各自の個性DNAを起動させていきます。至福の[いのち]が、どんぐりという表面的個性となって精一杯の自己表現をしながら生きていくだけです。
そういう「まこと」(事実)を、思考や観念によって洗脳されてしまったのが「頭」です。
中立に観ることを妨げる「色メガネ」になってしまったのです。こういう色メガネを持ったままでは、中立なゼロ視点から至福を観ることができませんし、至福を観じること、味わうことができません。偏見を深めるだけになります。偏見がある分だけ、至福から遠くなるのです。見直す目線、あらためて新しい視線を持って観ることで、至福を取り戻しましょう。
あなたの中を流れる[いのち]は、あなたを通路として「全体に貢献するぞ」と意図しています。完全にそう思えない「頭」が多少残っているだけです。そう思えない「頭」に気付いたら、その部分を中立に淡々と眺めていると、それは至福に戻っていきます。これがみそぎです。「色メガネ」を外すという「みそぎ」を続けることで、おのずと至福だけが残り、悟りが観えてきます。至福の全貌が観えるまで、「全体に貢献するぞ」から逃げないこと。誠実に真摯に取り組むことによって、「頭」の「色メガネ」を外すことが出来ます。
これが変容です。もとの【質】に戻ることが変容です。
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