無恐怖 = 至福
(師の言葉より)
いかに勇敢な人であっても、所詮、勇敢は恐怖の一部だ。勇敢の後ろには必ず恐怖が隠れている。だから勇敢になるのではなく、[無恐怖]になることが自然な在り方だ。無恐怖は至福とも言える。
但し、この無恐怖に完全に至るには、最大の恐怖を通過することになる。それは、あなたの個性(自我)の溶解であり、自我の透明化である。自分の理想、自分の美学、自分の正義、偽りのあなた、イメージのあなた、仮面のあなた、社会や他人との関係性のあなた、それら全てが溶解し、[だれでもない自己]になった時、無恐怖が顔を出す。もともとのあなたが生まれる。
自分という個性が消え去り、溶けていく。もはや自分が誰だか分からなくなる。とても不安定になる。これがゼロだ。これが[空]だ。自分を握っていては、あなたは[まことのあなた]にはなれない。構築された性格、偽りの自我が今のところ[あなたの中心]を占拠している。完全なゼロになっていない。だから神が出てくることができない。
弥栄にまことを尽くすという本気が湧くのは、人格や自我がゼロにならないと無理だ。
3ケ月くらい、全く何かをしようとせず(行動するなということではなく)、毎瞬、その時々の成り行きにまかせる。全てを受け入れてみる。
いかに恐怖が出てこようとも、出てくるままにまかせ、通過するのを待つ。いかに苦痛や危険に見えても、たとえ死にそうな気がするようでも、そのままに任せる。きっと何度も、『何かしなければ!』 『何も変わらない。気が狂いそうだ』 『何かしていないと死滅する!』と思うはずだし、自分でも無意識に何かをし始めてしまう。自分個人だけでは何もできないと分かっていても(否、もしかしたら、自分個人で何とかなると勘違いしているかもしれないが)、どうしようもなく何かを始めてしまう。
自分は何かをしていると思うことで、あるいは理論で納得することで、マントラやいのりをすることで、何となく安全になったような錯覚をする。でも、無恐怖になったわけではない。完全に至福になったわけではない。起こることを起こるに任せる。それは人生を放棄する投げやりのことではない。自主的に起こるがままに任せる。あなたを通じて、[至福]が、[まこと]が、[いのち]が、勝手にあなたを独尊の状態へといざなう。
あなたが色を握っていては、大いなる[至福]が出てこれない。完全なるゼロ、完全なる[空]、怖いかもしれないが、ここを通過しないかぎり、自我のカルマや六道輪廻から出ることができない。
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