「静」が基本

| すぴりちゅあるブログ


何のために「
オンライン瞑想会」を始めたっけ?
そのいきさつをあらためて思い出している今日この頃です。

 

 

「静」の必要を感じたことが、
その主な理由です。

 

 

今日、あらためて皆様にも「静」大切さをご理解して頂きたいと思い直し、
4~5年前のブログから重要ポイントを抜粋し、少しブラッシュアップして、以下に書かせて頂くことに致しました。

 

 

……………………

 

 

いつも心身ともに力み(りきみ)があり、
内なる静寂」がほとんど失われている現代人ですが、

 

 

このような自然に反した状態りきみ)、
宇宙とは異なる方向性闘い)は、心身をむしばむだけです。

 

 

「静」(くう)や宇宙根本的な状態であり、

万物を創造して育んでいくための「基本姿勢」なのです。

 

 

私たちが、(くう)と同じような「静」を観じるには、
ツールとしては瞑想が最適かと思います。

 

 

 瞑想基本
「静」だからです。

 

 

ですから、瞑想が嫌いな人、瞑想が苦手な人、続かないは、
自分の内側に「静寂」がつくられることを怖がっているか、

 

 

「静寂」が不安で落ち着かないから嫌っているか、
そのあたりを自己チェックしてみて下さい。

 

 

おそらく、世間一般のほとんどの人が
勘違いをしておられますが、

 

 

「静」と「動」を
完全に別のこととして認識されています。

 

 

私もそうでしたが
「静」と「動」を完全に別物として分断しているのです。二極化です。

 

 

でも
宇宙の基本
「静」です。

 

 

「静」は最も光が充満した状態で、
最も満ち足りた状態で、創造のスタンバイ状態なのです。

 

 

この基本的な「静」が、
のままで動くことを「動」と申しています。

 

 

とは異なった「動」があるのではなく、
「静」が動いているのが自然な「動」です。

 

 

ですから、常に「静」が主人公なのです。
(静は、であり、です。深読みすると「背意」)

 

 

つまり、宇宙には、
静」が止まっている瞬間か

 

 

もしくは「静」が動いている瞬間か

 


 

二つの側面があるだけです。

 

 


いずれかです。

 

 

あなたが、自分の「静」
こわすことなく動かしていくのであれば、

 

 

どんなに素早い動きでも、どんなにスピーディーな動きでも、
静そのものが「のままで」動いているから、呼吸は乱れません。

 

 

長時間の動きでも、疲れることもありません。
早い動きを長時間続けて、いきなり動きを止めても、呼吸はハアハアしません。全く乱れません。

 

 

ところが、静」を基本にせずに、
ただ動くことを追求するなら、

 

 

呼吸は乱れ、そこから創られるモノゴトや結果も
必ず乱れます。

 

 

現代人の
言動のベースには
全く「」が無いのです。

 

 

それは
なぜだと思いますか?

 

 

少し意外だと思うかもしれませんが
「自愛」が不足しているから!

 

 

「自愛」が満ち広がって、
湖面のような「静」になっていないのです。

 

 

武道でいうならば、
(アイの)氣が充実した「静」になっていないのです。

 

不安・怒り・焦りが波立ち、
「動」が荒れ狂っている・・・。

 

これを修正するためには
どうしても瞑想(特に自愛の瞑想)が必要なのです。

 

 

また、1月オンライン瞑想会では
さらに自愛にも取り組みます!!

 

 

武道、柔道、剣道、華道、神ながら道など、
道を極めるようなものは、

 

 

必ず「静」が基本になっています。
を中心に据えています。

 

 

この静寂を極めるなら、
動を極めることにも通じていきます。

 

 

「静」を抜きにした動きや、活動や、仕事は、
焦り・イライラ・不安しか生み出さず、異常に疲れてしまうのです。

 

 

そればかりか、焦りやイライラの反動として、今度は
「怠惰」「ウンザリ」「面倒くさい」を引き起こすのです。

 

 

そして休息という名の
「怠惰」をむさぼることになります。

 

 

ところが、静寂なくつろぎは、
「怠惰な休息」とは全く違うものです。

 

 

瞑想の基本は、静寂であり、
それが創造の基本であり、生きる基本であり、

 

 

中身がいっさい無くなっている
純粋な意識の状態です。虚空です。

 

 

ところが、世間一般の多くの人は、
あまりにも「動的なガラクタ」でいっぱいです。

 

 

このガラクタには
静という土台がすっぱ抜けています。

 

 

何の美しさもない、自然さのかけらも無い、
めちゃくちゃな「人工的な動」です。

 

 

しかも、その動的なガラクタとは、
過去世先祖の思考と感情でしかありません。

 

 

途切れることなく先祖の思考が動き、
我欲が動き、記憶が動き、感情が動いて、交通渋滞が起こっています。

 

 

皆様は、祖先の思考と感情の
言動(=自我)に支配されながら、

 

 

彼らがすでに歩いた道のりをたどり、
過去世の自分がすでに歩いた道のりを今世もたどり、

 

 

古い過去の体験(思考と感情)を
リピートするだけの肉体になっています。

 

 

その動(リピート)から
出ようともしない。

 

 

この動のリピートから自由になるには、
あなたの意識が「」に入らないと、無理なのです。

 

 

「静」を抜きにしているために
焦りやイライラが起こり、

 

 

その焦りから、明日のために準備したり、
将来のために備蓄までするのです。

 

 

まさに、
先祖や過去世に
とりつかれている状態です。

 

 

明けても、暮れても、
眠っている時でさえ、意識空間の「中身のカタチ」ばかりが動きまわり、

 

 

カタチではない意識空間そのものが(光が)
動けないのです。

 

 

純粋な意識(=神)が全く動けません。
こんなに過去(エゴ)が動いていては、

 

 

「静」という神は
動きようがない。

 

 

まさに
瞑想なき状態です。

 

 

瞑想は、
これとは逆です。

 

 

思考の往来がとだえ、考えがやみ、
あなたが全くの静寂の瞬間になった時、

 

 

純然たる虚空になった時、
透明な空間になった時、あらゆるものが静止した時、

 

 

そこに神がいて、
その神が「自ずと」動き始めるのです。

 

 

この瞑想状態
私たちの自然な日常になるならば、

 

 

それがまさに
神界の日常」ということです。

 

 

瞑想は決してあなたを疲労させないし、
消耗させたりもしない。

 

 

消耗するのは、
そこに自我の抵抗があるからです。

 

 

ただし、義務感や、強いられた瞑想やイノリは、
本人を自然から遠ざけるばかりです。

 

 

瞑想は、強いられた努力であるべきではないし、
ご本人の本気の好奇心や、自発的な喜びから、積極的に楽しく向き合っていくものなのです。

 

 

次回の更新予定
12月31日(大晦日)。なるべく短く仕上げます。

 

 

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