あなたは「何の目的」で?
何のために地球で生きています?
何のために仕事をしています?
何のために瞑想をしています?
何のために家事をしています?
人類の多くは、人生の目的があまりハッキリしておらず、
世間一般が提唱する「これが人生だ」「これが幸せだ」という狭い考え方の範疇(はんちゅう)に閉じ込められています。
無意識とはいえ、ただ閉じ込められたまま、
その中においての自由選択をしている気分になっているだけです。
これは本当の自由でも何でもありませんし、
真の自発性も向上性も湧いてきません。感動的な深い生きがいも感じられません。
そこそこで人生を諦め、
そこそこで自分の可能性をせばめてしまうのです。
人は、「このへんでいいか~」と思った時から
軽いウツになります。
ぼんやりする無意識の時間が多くなり、
それが普通になり、ますますボ~ッと生きるようになります。
4次元の地球では、
それが人間エゴにとっての「普通」になってしまいがちでした。
でも、魂にとっての「普通」の状態は、まるで違います。
「やすらか」が普通なのです。
「やすらか」とは、現代語の「安らか」のことではなく、
コトダマ的には「弥進螺輝」と書くのです。
「弥栄に向かって進む、らせん(螺旋)のかがやき(輝き)」が
「やすらか」の真意です。
イキイキしていて活発にアイが伸び広がる状態です。
カラダの細胞からは「覇気(はき)」が出ている状態です。
カラダから覇気(はき)が出ているのは、
全てをもっとよくしていこうとする「志」「目的」が丹田に結ばれているからです。
「弥栄に誠を尽くして生きる状態」、
この表現を簡略化すると
「弥進螺輝(やすらか)」とか
「弥進螺氣(やすらぎ)」になります。
かつて、「古事記の翻訳本(筧先生・著)」を
さらに分かりやすい現代語に翻訳させて頂いた時に、
「やす」というコトダマが
「安」ではなく「弥進」と書くのだと知ることができたのは、大きな収穫でした。
感謝しか
ありません。
現代では、本来のコトダマが死んでしまっていますし、
真の意味がおとしめられていますし、大和言葉が劣悪になっています。
人類の多くが「弥進螺輝」という真の状態を忘れ、そのせいでアイ・バイブレーションも落ちたため、
コトダマの翻訳すら間違ったものになってしまったのも、仕方がなかったと言えるでしょう。
実は私たちは、
まだまだ何も(本当には)分かっていません。
自分の真の素晴らしさも、宇宙の驚異的なアイの叡智も、
何も「本当には」分かっていないのです。
今からの時代、ようやく全ての真理が顔を出します。
その時、それに応じたバイブレーションの自分(アイのトーラスの自分)でなければ、新しいものが何も理解できず、ハラに落ちないでしょう。
とにかく、今から全てが本格的になるのです。
本当に今からなのです。学びも実践も。
ですから、最も重要な「霊的な学び&実践」を、
途中でやめてどうするのです?実にもったいない!
今まで学び続けてきた皆様にとっては、
さらに全軍前進~♪ですよ~!
人生においての「幸せの底知れぬ深み」が待っているのですから、
魂とカラダに取り組むことに関し、もっとワクワクしていきましょう!
今一度、問いたいのですが、
何のために生きていらっしゃいますか?
私たちが生きる目的は
何でしょうか?
その唯一無二のファイナル・アンサーは、
「弥進螺輝」の状態で生きながら、全てをさらに能く(よく)していくためです。
生きる目的、存在する目的、仕事をする目的、家事をする目的、
それらは宇宙の【目的】と全く同じです。
「弥進螺輝」の状態で、
全てを能くしながら生きることが【目的】です。
仕事や家事などは、
その目的のための【手段】に過ぎません。
宇宙も、地球も、真の神々も、自然界も、志を決めた魂も、
あらゆる全ては「弥栄」に向かって永遠無限に進みます。
どこまでも「自他を能く(よく)していく」という実践を
絶対にやめません。
やめるイコール
「共倒れ」になるからです。
魂のアイの進化や、霊的な成長は
永遠に(未来永劫に)続くのが本来であり、
しかも必ず「カラダと共に」
成長していくものだったのです。
これが私たちの「本来の幸せ」
「至福」「歓喜」だったのです。
全てをより能くしながら進み、
決して「真の学び&観じる実践」を中途挫折しない、これが宇宙創造主にとっては「普通」になっています。
この本来の「普通」から外れたものを
エゴと言います。
他の存在のことはどうでもよく、
自分の考えを中心に生きていたいのがエゴですから、
霊的な学びや瞑想を途中放棄するように、
いつも魂に誘惑をかけてきます。
エゴは必ず、「これでいい」「このへんでいい」という
アバウトさに胡坐(あぐら)をかくよう、私たちを誘惑してくるのです。
だからこそ、そんなエゴの誘惑には乗らず、
魂としての「普通」を素直に生きて下さい。
なぜ、学びや瞑想などを続けてほしいかと言いますと、
以下の理由からです・・・。
学び&観じる実践を「もうこのへんでいい」と思った瞬間、
あるいはやめた瞬間、
ずっと栄えるはずのアイ・エネルギーの中に、
【拒絶】のエネルギー(大我エネルギー)が混入されていきます。
その結果、約束されていた「永遠の至福」が
拒絶されるような人生になっていくのです。
そうなれば、あとは自分単独で頑張るしかなく、
力む(りきむ)だけの人生になってしまいます。
今から、特に重要なことを申しあげますので、
どうかしっかりと受け止めて下さればと思います。紙にでも書いておいて下さい(笑)
どんなに素晴らしい方であれ、「ここまで沢山の学びをしたから、観じる瞑想もやったから、もうこのへんでいいか」と思った瞬間から、
人生の全ジャンルに対して「文句エネルギー」が発生するということを知っておいて下さい。
「このへんでいいか~」という思いは、
天地に対する逆スピンの拒絶エネルギーとなり、生きる全てにおいて不満や文句が発生するようになります。
スピリチュアルに対しての「このへんでいいか~」から生じる
「まだやるの~?」という文句だけでは済まなくなるということです。
日々を生きることそのものに対しても、
「まだ生きるの~?」という文句が出るようになります。
仕事に対しても「いつまで働くの~?」という文句が湧きます。
家事に対しても「まだやるの~?」という文句が出ます。
宇宙で一番大切な、
生きる上での中核である「霊的な向上&実践」を
「このへんでいいか~」
と思った時から、
私たちは何をしていても、どう生きていても、
根底には文句と不満しか発生しなくなるのです。
私にとっても、このメッセージは本当に納得いくものでした。
皆様に今日公開できて本当に良かったです。
ヒントめいたことは、10年も前に
先生たちから言われたことがありますが、自分自身で腑落ちするまで、待ってもらっていたような気がします。
では、なぜ、「もう、このへんでいいか~」
と思ってしまう人がいるのでしょうか?
それは知識や情報を得ることだけが、学びだと勘違いし、
頭だけが満足してしまい、観じる瞑想をしなかった(トーラスを実践しなかった)からです。
カラダは、アイがトーラスせずに枯渇したままですから、
学んでも学んでも幸せを観じられず、ある時ふと「学びはもういいか~」と思ってしまうわけです。
枯渇感を埋めるために、外側の何かや、他の何かで補おうとしても、
枯渇感は消えません。
やり慣れた今までの生活習慣・古い生き方に戻っても、
枯渇感は消えません。
知的な学びだけでなく、アイの感覚センサーを躍動させる瞑想(=トーラス)の実践が
ずっと継続されていないと、アイが増えてこないのです。アイの奉仕ができません。
これでは「本当に学んだ」とは言えないし、
天地が望んでいることからもズレていきます。
………………………..
アイを観じる瞑想(=トーラス)の実践には、
「感覚センサー」のよみがえりが必須ですので、
そのために遠隔神儀をさせて頂くことになったことは、
前にブログに書いた通りです。
こんなことは今までの歴史上、誰も教えてはくれず、
したがって、ほとんど誰も実践してきてはいないのです。
(ごく数名を除いて)少しだけ実践したり、たまに実践したり、
私たちの誰もがそんな状態でした。
スピリチュアルのレベルが
かなり低かったのですね。
ですから、本当に今からが大事なのです。
私たち全員が公平に「本格的スタート」を切るのですから。
今後生まれてくる子供たちは、すでに「やすらか(弥進螺輝)」ができる状態で生まれてきますので、
大人の私たちが、子供がもっと生きやすい下地をつくっておかないといけないと思うのです。
11月16日、現地参加の「1DAYセミナー」では、
この「弥進螺輝」が宇宙の目的であることをハラに落とし、アイの感覚センサーを磨く大切さもハラに落として頂こうと思います。
アイを観じて広げる(=丹田のトーラス)ことの基本も
共に楽しんでいきたいと思っています。
「1DAYセミナー」(丹田のトーラス)の申し込みフォームは
HPのトップ画面にございます。長期講座を受ける方は必要ございません。
次回の更新予定は
10月29日(火)です。
ヒーリング・ラウンジStarHeart(スターハート)
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