カラダの運び(=歩行)の役割
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3/28「恨みの昇天」(特別セミナー)の
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ご注意:新・長期講座の受講者さま(&再受講の方)は、
3月の講座で行いますので、特には必要ございません。
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おおよそ私のブログでは、
アイのことを「愛」という漢字に変換せずに
アイとだけ
書いてきました。
そして、カラダのことも、なぜか
「身体」とか「体」に変換せずに
カラダと
書いてきました。
カラダを
一般的な普通の漢字に変換してしまうと、
ひとつの意味だけに限定されてしまい、
何となく不自然だと感じていたからです。
限定された意味に決めつける前に、
コトダマ(音意)が内包している「多様性」をそこないたくなかったのです。
そして、それで
良かったと思います。
カラダという音意に関して、
非常に重要なことが分かったからです。
そのカラダの前に
あらためて「アイ」の音意について・・・。
本来のアイの音意は、
漢字にすると「天意」であり、
一般的に言われるところの
愛情ではなく、「天意からの愛」という意味です。
そればかりか、アイは「光」であり、
「生命力」「元気」のことでもあります。
純粋な生命力は
アイの動きそのものです。
そして、実は「カラダ」という言葉も、
本来の意味からすれば、「体」でもなく、「身体」とか「躰」でもなく、
「體」と書くのが真実なのです。
物理的肉体の純粋な本質を表現している漢字です。
魂の氣(魂のアイ)から
そのまま純粋に創られたものが「體」で、ご神体と言ってもいいのです。
丁寧に言うならば、體とは
「魂」からあふれだす生命力の元氣が(何にもジャマされずに)充分に通っている「純粋な物理的肉体」のことを言います。
ところが、素晴らしいはずの
物理的肉体に対して、
「いずれは死ぬカラダ」「老化するカラダ」「ダメなカラダ」「ぶさいくなカラダ」「弱いカラダ」
「病気のカラダ」「有能ではないカラダ」という見方をした瞬間に、
本来の素晴らしかった物理的肉体は
「體」ではなくなります。
スピリチュアルな観点から申しますと、
「身体」と書く時は、個人的な自我のカラダを表現する時です。
自我のカラダである身体は
思考と感情から出来ているカラダです。
ただし、このような情報は、
ネット検索でしても載っていませんし、普通の学者やドクターもご存知ありません。
魂と體(からだ)という
二つの素晴らしいカップルを統合し、
魂と體の両方が
同じような高い周波数になっているためには、
その両方の親和をジャマしている「身体」を、
早くアイの光(生命力の氣)へと戻してあげることが必要なのです。
思考と感情でできた身体を
アイの光(生命力の氣)でトロトロに溶かし、
アイの生命力としてよみがえらせて、
もともと在った生命力にプラスしてあげるのです。
そうやって、さらにパワフルになった生命力が
充分に通っているような「體」へと
今の肉体を早く戻していくことが、
今後のスピリチュアルな課題といえます。
そして、私たちが
「魂」としての自覚を忘れず、
自らの魂のアイの輝きをもって
今の物理的肉体を「いつくしむ」ようになると、
単なる物理的肉体は「體」へと戻っていき、
そこからさらに進化していきます。
そうすると、
ただ自然に「體」を運んでいるだけなのに、
その周囲の空間を浄化させ、
周囲の全てを活性化し、イキイキとよみがえらせるようになります。
こんな逸話を
聞いたことがあります。
超古代においては、
肉体を持っている聖者(=ミコト)が歩いたあとは、
美しい花が咲き、荒れた平地にも青々と草木が生い茂って、
不死の泉すらも実際に湧き出すと・・・。
ただ歩行しているだけなのに、
病の人を直し、貧困・欠乏の人をも富裕な人に進化させてしまうと・・・。
聖者の行進とは
まさにこのこと!
実は、それが物理的な「體」が存在する意味であり
「體」の本当の役割です。
そのような「聖者の歩行」「神々の歩行」、
つまり、「體の運び方(歩き方)」ですが
今度の東北リトリート(5/14,15,16)にて初公開させて頂くことになり、
皆で共に実習して頂けるようになりました。(来週中には記事をアップさせて頂きます。)
次回の更新予定は
3月16日(火)です。
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