カムあがり(神人合一)が「真の覚醒」
お知らせ
■明日(27日)は超・遠隔神儀の
お振込みの〆切です。
■1/31特別フォローアップの
お振込みも、明日(27日)で〆切とさせて頂きます。
※もし、何かご事情がある場合は
お早めにお知らせ下さい。
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私たちは、感情や思考への
単なる「観察者」「観照者」ではありません。
感情や思考の動きに翻弄されず、
それらを俯瞰(ふかん)して眺めている中立な意識であること、
そんなことは、
真の私たちが何者であるのかを
本当に悟って「自覚する」ための
「最低限の入口」に過ぎません。
ある方からご質問がありました。
スピリチュアルな発信(&瞑想の必要性)をなさっている有名な方の文章を読み、
そこに違和感を感じる
とおっしゃるのです。
有名な方の文章の「概要」は
以下のようなものらしいです。
人間はどこまでいっても人間なのだから、
瞑想したからといって
不愉快な感情が
湧かなくなることはありえず、
程度の差はあれ、
感情が自分の中を行き来するのは死ぬまで変わらない。
だから、人間的な感情を
俯瞰(ふかん)する観察者になっていることが大切であり、
それは聖者や覚醒者でも同じこと・・・。
う~ん、5年前の私なら「そうそう!」と、
あいづちを打っていたかもしれません。
和尚ラジニーシの本にも、
そのような表現が多くありましたし・・・。
でも、そこに違和感を感じた方は
その感覚をもっと信頼なさって結構です。
私の体験から言いますと
自らの覚醒体験がたった一回であったり、浅いところで止まっていると
そんな考え方に
なりがちです。
そうではなくて、真の弥栄のイノリが繰り返されて
神としての覚醒がグングン深まっていくならば
本当に私たちが「弥栄を創造する神」
であることを、自らが確信できるようになっていきます。
弥栄のイノリは
具体的に言いますと、以下の二つが柱になっています。
1、日本という「国体」の弥栄発展、
2、神恩感謝
神社や神宮は
この二つだけをいのる場なのです。
日常生活でも、
このイノリを喜んで繰り返し、その生き方をすることによって
神と人間という概念の間にあった
「5つの岩戸」=「意識の境界線」が浄化されて払われていきます。
神人合一(神と人の融合)が
起こるからです。
11月24日のブログ「5つの岩戸開き」を
再度ご覧頂ければ分かりますが、
神武天皇が「人間宣言」をしたことによって、
それ以降、私たちは個人としての自覚のほうを強めるようになったわけです。
ですので、スター・ハートでは
「単なる観察者」を超え、
もっと内奥の「真の自己」である神を
皆様には「自覚」して頂きたくて、
種々の発信と講座を
続けているのです。
その有名な方の文章のように、
「人間はどこまでいっても人間だから」と皆様が信じ続ける限り、
人間の感情が
自分の中を行き来するのは当然です。
そして、そんな感情や思考に
振り回されないための瞑想であるなら、
底が浅い瞑想になってしまいます。
神の意識として覚醒した人のことを
「覚醒者」「聖者」と言うのですから、
神の意識になった人が
人間的な感情を放出するはずがなく、
いつも常に
神の感情(感謝・祝福・あい)しか放出しないのが普通です。
「私たちは神に似せて創られた」
という表現があるくらいですから、
神にニセて創られた人間、
つまり「ニセモノ」だと思い込んでいる人も多いわけです。
でも、真実を言いますが、
私たちは「神によって創られた者」ではなく、
「神によって神として産んでもらった」
存在なのですよ!!
この微妙なニュアンスの違いが
お分かりでしょうか?
まともに神として産んでもらっていながら、
途中で忘れてしまい、
人間の自覚になってしまってからは
随分と年月がたちますが・・・。
実際のところ、ご自分の内面に
いまだに何となく「無価値感」があるなと感じる方は、
ご自身が人間の自覚のまま
だからです。
人間ならではの無価値感があるがゆえに、
何かを達成することで
「無価値感」を埋め合わせしようと
頑張るのです。
ですので、神として産んでもらっていたことを、
皆様がちゃんと理解できた時、
無価値感は
完全に消えます。
すると、ようやく自分自身を
「無条件に」ほめたたえることができるのです。
自愛が本物になるのです。
無意識に無価値感があると、
自分自身をほめたたえることが出来ないから、
他者をけなし、他者を批判し、
他者と比較競争するのです。
次回の更新予定は
1月29日(金)です。
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