なぜ「瞑想」が重要か
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5月最後の土曜日、
名古屋駅の西側にあるデニーズへ行きました。
沢山の人が店内を埋め尽くしておられ、
嬉しくて涙が出そうになりました。
「人がいっぱい!密になっている!」
そんな風に感動したのは、生まれて初めてでした。
その瞬間に、上からメッセージが来ました。
「多くの人がずっと混雑を嫌い、大勢が集合することを否定していたではないか。
彼らのその内面が、そのまま現象化して、
密は避けよという状態になったのだ」・・・と。
いかなるモノゴトであれ、
否定し、拒絶したことは、「いやなカタチ」で実現するのだということを、あらためて思い知りました。
混雑を純粋に祝福したことは、
私の人生で一度も無かったかもしれません。
あらためて、密を祝福し、
混雑を祝福させて頂きました。
では本題です。
(少し長くなりました)
本日は、瞑想の重要性についてですが、
瞑想の基本は、静寂(伸びやかなくつろぎ)です。
静寂とは、思考ゼロのことであり、
無私のことであり、ノー自我の状態、過去ゼロであり、万物創造の基本です。
瞑想の静寂は、
万物創造の根本姿勢なのです。
おそらく、世間一般のほとんどの人が
勘違いをしておられますが、
「静」と「動」を
完全に別のこととして認識されています。静と動を完全に分断しているのです。
でも、宇宙の基本は「静」なのです。
「静」は最も光が充満した状態で、最も満ち足りた状態で、創造のスタンバイ状態なのです。
この基本的な「静」が、
静のままで動くことを「動」と申しています。
静ではない動があるのではなく、
「静」が動いているのが自然な姿です。
ですから、常に「静」が主人公なのです。
(静は、生であり、聖です)
つまり、宇宙には、
「静」が止まっている瞬間か、
もしくは「静」が動いている瞬間か、
二つの側面があるだけです。
静の止、静の動、
いずれかです。
あなたが、自分の「静」を
こわすことなく動かしていくのであれば、
どんなに素早い動きでも、どんなにスピーディーな動きでも、
静そのものが「静のままで」動いているから、呼吸は乱れません。
長時間の動きでも、疲れることもありません。
早い動きを長時間続けて、いきなり動きを止めても、呼吸はハアハアしません。全く乱れません。
ところが、静を基本にせずに、
ただ動くことを追求するなら、
呼吸は乱れ、そこから創られるモノゴトや結果も
必ず乱れます。
現代人の
言動のベースには
全く「静」が無いのです。
これを修正するためには
どうしても瞑想が必要なのです。
武道、柔道、剣道、華道、神ながら道など、
道を極めるようなものは、
必ず「静」が基本になっています。
静を中心に据えています。
この静寂を極めるなら、
動を極めることにも通じていきます。
「静」を抜きにした動きや、活動や、仕事は、
焦り・イライラ・不安しか生み出さず、異常に疲れてしまうのです。
そればかりか、焦りやイライラの反動として、今度は
「怠惰」「ウンザリ」「面倒くさい」を引き起こすのです。
そして休息という名の
「怠惰」をむさぼることになります。
ところが、静寂なくつろぎは、
「怠惰な休息」とは全く違うものです。
瞑想の基本は、静寂であり、
それが創造の基本であり、生きる基本であり、
中身がいっさい無くなっている
純粋な意識の状態です。虚空です。
ところが、世間一般の多くの人は、
あまりにも「動的なガラクタ」でいっぱいです。
このガラクタには
静という土台がすっぱ抜けています。
何の美しさもない、自然さのかけらも無い、
めちゃくちゃな「人工的な動」です。
しかも、その動的なガラクタとは、
過去世や先祖の思考と感情でしかありません。
途切れることなく先祖の思考が動き、
我欲が動き、記憶が動き、感情が動いて、交通渋滞が起こっています。
皆様は、祖先の思考と感情の
言動(=自我)に支配されながら、
彼らがすでに歩いた道のりをたどり、
過去世の自分がすでに歩いた道のりを今世もたどり、
古い過去の体験(思考と感情)を
リピートするだけの肉体になっています。
その動(リピート)から
出ようともしない。
この動のリピートから自由になるには、
あなたの意識が「静」に入らないと、無理なのです。
「静」を抜きにしているために
焦りやイライラが起こり、
その焦りから、明日のために準備したり、
将来のために備蓄までするのです。
まさに、
先祖や過去世に
とりつかれている状態です。
明けても、暮れても、
眠っている時でさえ、意識空間の「中身のカタチ」ばかりが動きまわり、
カタチではない意識空間そのものが(光が)
動けないのです。
純粋な意識(=神)が全く動けません。
こんなに過去(エゴ)が動いていては、
「静」という神は
動きようがない。
まさに
瞑想なき状態です。
瞑想は、
これとは逆です。
思考の往来がとだえ、考えがやみ、
あなたが全くの静寂の瞬間になった時、
純然たる虚空になった時、
透明な空間になった時、あらゆるものが静止した時、
そこに神がいて、
その神が「自ずと」動き始めるのです。
この瞑想状態が
私たちの自然な日常になるならば、
それがまさに
「神界の日常」ということです。
瞑想は決してあなたを疲労させないし、
消耗させたりもしない。
消耗するのは、
そこに自我の抵抗があるからです。
ただし、義務感や、強いられた瞑想やイノリは、
本人を自然から遠ざけるばかりです。
瞑想は、強いられた努力であるべきではないし、
ご本人の本気の好奇心や、自発的な喜びから、積極的に楽しく向き合っていくものなのです。
(もう少し
お付き合いください)
毎日、同じ場所で、同じ時間帯に
瞑想していくならば、
その時間になると、自然に瞑想したくなり、
その場所に行くと、自然に瞑想したくなります。
自然に、肉体・マインド・魂の中に
「瞑想への渇望」が生じてきます。
この習性を
利用していけばいいのです。
同じ場所、同じ時間に瞑想することを通じて、
自然な渇望が湧くようになる「マインドの習性」を利用するのです。
空っぽの自分になること、無の空間になること、
その静なる(聖なる)スペースが確保されることへの
心地よい渇望が湧きます。
そのような渇望は自然な意欲です。
毎日、同じ場所で瞑想していくと、
できれば、その場所を瞑想のためだけに確保していくと、
その場所は、
瞑想の波動を持つようになり、
その環境は、特定の静寂なバイブレーションを帯びて、
特定の雰囲気をかもしだすようになります。
それが神界の中心になるのです。
神社や仏閣が創られた理由はコレなのです。
今、ちゃんとした瞑想を
皆様に提供するため、少しずつ準備を進めておりますが、
二冊の本が書きあがったなら、
秋くらいからオンラインで、と考えております。どうぞ宜しくお願い致します。
次回の更新は、
6月5日(金)です。
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