「ひの鏡」と「地の鏡」
ずいぶん前ですが、
「まふつ」の鏡に関して、ブログを書いたことがあります。
「真っ二つの鏡」という意味で、
「聖なる二分法」のことです。
ゼロポイント(中心)と、
反射ゼロポイント(周辺)のことです。
忘れてしまった方々のために、
簡単に書きます。
創造主(虚空)は自らを二つに分け、
創造を意志する領域(いのりの中心)と、その意志が実る領域(周辺)とに分けました。
いのりの中心(創造する中心)は
ゼロポイントであり、「原因」「氣の世界」「神魂」と言えます。
中心の意志(いのり)が実って、
ますます発展繫栄が起こるのは反射ゼロポイントの側です。「結果の世界」「現象世界」と言えます。
古代においては、
この聖なる二分法(原因と結果)の、二つの領域を「鏡」で表現しました。
創造の中心は、
「発展の氣」を広げ続けているので、まばゆいばかりの光(ひ)が輝いています。
ですから
「ひの鏡」と呼びました。
そして、その光(ひ)が届くと、
色々な現実や生命がめでたく実ります。
その実った状態を
ちゃんと写し出してくれる領域を「地の鏡」と呼びました。
「ひの鏡」は、
私たちの魂そのものです。
つまり、
私たちは「ひの鏡」そのものなのです。
「ひの鏡」は
「光の玉」である命の粒々を「発展の氣」として放つ源です。
そこに具体的なカタチが
あるわけではありません。
三種の神器に出てくる
「鏡」と「勾玉」(光の玉)のことがこれでお分かりになったと思います。
何度も言いますが、
私たちは、カタチではありません。
天の意のままに、
「発展の氣」としての光を放つ存在です。
だから私たちは
光(ひ)の源であり、【ひのモト】と言うのです。(→日ノ本)
「地の鏡」のほうは、
光が実っていくおかげで、物理的なカタチが写し出されます。
でも、「地の鏡」が写し出すカタチや様子は
あくまでも「ひの鏡」にとっては「観察の対象」に過ぎません。
「ひの鏡」のほうは
(つまりカタチがない「魂」のほうは)、
「地の鏡」に写ったものを見ていくうちに、
そのカタチにとらわれてしまうようになりました。
つい、「地の鏡」の中へ入りこんでしまい、
そのカタチと一体化してしまうのです。
完全に、カタチを自分だと思ってしまい、
カタチに執着し、カタチを手放せなくなります。
「ひの鏡」と「地の鏡」、
この真実が、漫画でもちゃんと表現されていました。
最初の画像と合わせて、2コマしか載せませんが、
その画像をご覧になって、
「地の鏡」に
魂が取られる
という意味を
ご理解下さい。
昔の人が
「写真を写すと魂が抜き取られる」と言ったのも、そのことです。
写真は
「地の鏡」ですから・・・。
■明日(23日)は、私用のため、
ブログをお休みさせて頂きます。
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