神 迎える
先日、「意識的に甘える」ことと、
「無意識に甘やかす」の違いを書きましたが、
「あまえる」の音意は
「天 得る」だと感じました。
他にも昔のノートに色々とメモってありましたので、
以下に一部を載せます。
「考える」とは
「神返る」ことであり、
ただ頭でウンウンうなって考えるのではなく、
自らが神魂に戻ることで、
神智を導き出すことが本当の「考える」なのです。
「考える」とは
「カムガエル」でもあり、「カミ・ムカエル」の意味です。
「神 迎える」です。
いずれにしても私たちは
「神迎える」ことによって、新たな叡智や気付きが発生します。
叡智や気付きが発生し、
授かったならば、その次は
叡智を活かすために
実践し行動するはずです。
実践し行動しない者には、
後押し(守護)のしようがなく、素晴らしい御縁の与えようもありません。
「神迎える」、
それは命エネルギーを迎えることですから、
イキイキしていることが普通です。
自然なことです。
イキイキなくして
「生かされている」などと言えるはずがありません。
だから感謝もできません。
日本の風土に生まれ育ったのですから、
命の神働きに対して、あるいは天地と大自然に対して、
「敬う心」や「喜び祝う心」を
忘れてしまうと、
風土に対して
不自然な邪気を放つようになります。
それは自然の摂理に反するので、
カラダを壊します。
それでも不自然な気を
放ち続けていきますと、
やがては人生の運気も
下がっていきます。
命とは「意の血」であり、
神の「意の気」が物質化したものですから、
血の中には
ちゃんと信仰が宿っています。
信仰(シンコウ)は神向(シンコウ)です。
思いを神に向ける、それが血の願いです。
「願い」とは
「根買い」のこと。
生きていくうえで
根っこ(=源)になるものを、ちゃんと身に付けることを言います。
生きていく上で
根っこになるのは神魂ですから、
私たちが神魂を身につけること(覚醒させること)を
神々のほうも願っています。
それが身についた分だけ
「宝」となります。宝珠となる。
「宝」の音意は
「他から」です。
他者の言動のおかげで
気づかせて頂くのですから・・・。
宝とはまるで真逆なのが
「悩み」です。
悩みとは「汝闇」で、
汝の闇です。汝が闇の中にいるから、アレコレと病むのです。
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