原罪
キリスト教には、今もなお
「原罪」という概念があるのでしょうか?
私たちの「もとの質」は愛であるから、
罪深い存在なわけがない。
すると、「原罪」という表現が
本当は何を意味するのか、そこを丁寧に探ってみると、
決して「罪深い」ということを
言っているのではないと分かってきます。
「原」は原初のこと。
「罪」は「包み」で、
魂の輝きが
包みこまれていくような「罪悪感」のこと。
だから「原罪」とは、
原初の傷(神世での傷)によって発生した「罪悪感」。
原初の罪悪感がある限り、
「私たちは罪深い」と思い続けることになり、
弥栄・繫栄を
100%意図する気にはならないないでしょう。
100%の純粋さでは無いような
「弥栄のいのり」なら、
天に通じるはずがない・・・。
どんなに過去世の傷や、
先祖の傷を、「愛」に溶かして愛に戻そうが、
原初の「神世の傷」を
愛に戻していないなら、
日常生活の中で、
再び「罪悪感」は育っていく。
原初の罪悪感が残っていれば、
どんなに「発展・拡大」を意図して、声に出したところで、
波動の質・気の質・声質は
粗悪になります。
エゴの振動でしかなくなる。
発展拡大という「神の波動」を
周囲に拡大できず、振動させられないのです。
罪悪感があれば、
深い潜在意識のところで、本当は繫栄をこわがっているのだから、
いのりにも
「神の本気」が乗らないのです。
罪悪感があれば、
子孫繫栄、金銭繫栄、モノづくり繫栄などの、
カテゴリーのどれかに
「ひずみ」が出てきます。もしくは、
あらゆるカテゴリーに
「ひずみ」が出てきます。
しつこいようですが、
私たち全員が、この「神世の傷」を、自らのルーツに持っています。
その証拠に、
神とか神世という言葉を見聞きすると、傷が反応するため、
「マニアックで、うさんくさい」と
思う人もいるでしょうし、
「宗教団体みたい」と
拒否ってしまいたくなる人もいるでしょうし、
やたら雲上に奉ってしまう人も
いるでしょうし、
「非科学的な話だ」と
目をそむける人もいるでしょう。
そういう何らかの感情反応が
起こってくるのもうなずけます。
すでに意識が目覚めた方や、
クリアで澄みきった意識状態の方ほど、
早いうちに
「原初の傷」に取り組んで頂きたいと思っています。
つい先日の
12月のアドバンス講座では、
ようやく皆様に
「原初の傷」にフォーカスして頂くことができ、
愛に溶かし、愛に戻すようにと
お願いできました。
今まで精進された方は
ようやくその段階にまで来られたと感じます。嬉しい限りです。
2018年以前の、
エゴに未練があるような意識段階では、
神世の傷になど、
とうていアプローチできませんでしたから。
~明日に続く~
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