「おそれ知らずの自分」への恐怖(続編)
(昨日の続き)
画像を見て頂きたいのですが、
二匹の鳥がいます。
「怖れ」という籠に
閉じ込められた気の毒な鳥、
もう一羽は、
フリーになって飛び立つ鳥・・・。
怖れ=籠、
不自由な小鳥=私たち・・・。
などと、思っているのが
多くの人たちです。
でも、
実は、実は、実は、
「籠」のほうが
私たち(観察の意識)だった!!!
怖れという名の「小鳥」を、
しっかり所有して、絶対に手放すまいとしているのが「籠」である私たち。
怖れ(小鳥)の側は、
あなたという所有意識(籠)から早くフリーになって、
とっとと
変容進化したがっているというのに。
全一の視点を覚醒させるならば、
今までの視点の見え方とはまるで逆になり、逆が本当だったと分かるのです。
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カラダに植え付けた「恐怖エネルギー」を
手放せば手放すほど、
「こうあるべき」「こうであらねば」
という操作・支配(プログラム)がカラダから外れます。
すると、カラダ空間は伸びやかになり、
命の叡智が発芽し始め、
「今、こうしたい」が
ハッキリ分かるようになります。
間違いも正しいも、
「個人の判断」の及ぶところではありません。
目からウロコと言うけれど、
「怖れ」は全てウロコとなります。
だから怖れを全て手放すなら、
目からウロコが外れて、全てをあるがまま「見とおす目線」、つまり
「気付きの目線」が
戻ってくるのです。全一の「中立な視点」が覚醒するのです。
リトリートで
気付いたことの一つですが、
自分の中に
「全てを見透かされることへの怖れ」を持っていると、
「全てを見透かすこと」も
できなくなるということ。だから、何も見通すことができなくなり、気付けなくなる。
「気付く」
=「見透かす」
だから。
これも叡山(叡智の山)にて
気付かせてもらったことですが、
霊的な呪縛は分かりにくいけれど、
これも外す必要があると気付きました。霊的な呪縛とは、
神仏への畏怖、守護霊への畏怖、
ガイドへの畏怖や、「上」への畏怖(怖れ)、
畏怖もまた、「上下関係」や
「優劣」という呪縛であり、妄想だから手放せと。
「でも、畏怖を手放したら、
傲慢になっちゃうのでは?」というプログラムが浮上し、苦笑いしました。
「神仏への畏怖を手放すと、
傲慢になってしまうんじゃないか」という恐怖プログラムです。
いつ頃、それを自分自身に
「入力」「呪縛」したのでしょう?
あるいは、他者に向かって
「入力」「呪縛」したのでしょう?
そして、意外にも、多くの人が
最も「畏怖の念」を抱いているのが、創造主(虚空)に対する畏怖です。
万物の創造主である虚空を「偉大な親」として見なし、
実は怖れているのです。
ですから、虚空を「最上級」「別格」に置いて、
その最上級の偉大な存在から愛されていることで安心したり、感謝もする。
でも、まさか
この自分自身が「虚空と同等」だなんて、しかも「虚空そのもの」だなんて、
そんな「おそれ多いこと」を
思ってはならない・・・というプログラムがないでしょうか?
でも、私たちは
虚空そのものです。もし、その自覚が薄いなら、今ここからその自覚を覚醒させて下さい。
そして虚空としての
「自覚」をハッキリさせて、虚空の「視点」「視座」に立つとき、
傲慢は消え、
偏見もゼロ化する。
上も下もなくなり、
優劣もなくなる。
正しいも間違いも
なくなる。
全てが、
無条件の愛に戻る。
■明日19日(月)は、
ブログをお休みさせて頂きます。
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