繊細なニュアンス

| すぴりちゅあるブログ

 

色々な人がおられる。
そのおかげで、それぞれの「違い・差」が分かる。

 

色々な人がおられるから、
今の自分の「立ち位置」に気付くことができる。

 

全一愛に覚醒していない人のおかげで、
自分が全一愛であると分かる。

 

先日のリトリートでは、
「漢字の大切さ」が話題になりました。

 

もし、言葉の音が
「ひらがな」「カタカナ」だけで表現されたならば、

 

その音が放つ微妙なニュアンスの「違い・差」が
伝わらなくなります。

 

例えば「はし」には、
橋・箸・端などがあるように、

 

「いかり」には
「怒り」や「意駆り」があります。

 

怒り」は、
個人的な目線から湧く被害者的な感情ですが、

 

意駆り」は、
全一の目線から湧く「天の意気込み」
です。

 

こういう微妙なニュアンスの違いを
感じとれなくなるのは、ずっと「個人的な目線」からしか生きてこなかったためです。

 

自他(分断)の目線になってしまうと、
全一愛の目線の時に感じられるような「繊細なイキイキした感覚」が分からなくなり、

 

言葉のニュアンスに対して
とても鈍感になってしまうのです。

 

鈍感になれば、その言葉のニュアンスが「死んだような波動」でも、
そのまま受け取ってしまう

 

言葉の意味付けによるプログラミングよりも
もっと気付きにくい波動チューニングです。(その分、タチが悪い)

 

そのことに改めて気がついたのは、
先日のリトリートで行ったお寺の、早朝勤行に参加した時のことでした。


早朝勤行のあと、

高僧のお説法(良い・悪いの二極の話)をお聞きしたのですが、

 

その際に「やす」という言葉の使い方に
違和感を覚えたのです。

 

頭ではなく、
身体感覚での違和感です。

 

「いつも安らかな心で!」と、
その高僧から繰り返し聞かされていくうちに、

 

頭では「良いお話だ」と
納得しているのに、

 

楽しかった私の全身からは、
徐々に元気が消えていったのです。


安らかな心、安の心、

つまり「安心」ですが、この言葉からは、命の営みが放つ「繊細な躍動」を感じられません。

 

日常が攪拌(かくはん)される
という感覚がありません。

 

安らかに、安らかに、安らかに・・・・・・
一日の始まりである早朝に、この「安」をずっとリフレインされて、カラダがワクワクできるでしょうか?

 

やす」の漢字には
」と「弥進」などがありますが、

 

」は命の営みが
休憩したり、完了した時のニュアンス音です。

 

だから、朝、私の命が徐々に弾まなくなっていき、
元気が失せていったのです。

 

今ここで死にゆく人ならいざ知らず、あるいは
今ここで睡眠に入る人ならいざ知らず、

 

今ここを喜びで生きようとしている人々に
お説法をするのなら、

 

弥進」を
話すべきでした。

 

つまり
「弥進弥進と(やすやすと)いきましょう」ならベストだったと思うのです。

 

宇宙のビッグバンも、今日の始まりも、
たった今の始まりも、全てが理屈抜きで「いざ!」という命の意気込みから始まっているのです。

 

万物の原点(Origin)であり、
万物の根本である「いざ!」という意気込み、これが「弥進」です。

 

この「弥進」にあなたの意識を戻すことが
「真」を理解できる早道なのです。悟っていける早道なのです。

 

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