聖俗一如(泥とハス)

| すぴりちゅあるブログ

 

カラダへの「操作・支配」に関して、
もっと具体的に知りたいとのご要望がありましたので、ブログの最後に書かせて頂きます。

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昔、ある覚醒した方に

何のために生きておられますか?」と尋ねたことがあります。

 

その方は
への敬意と、カラダへの感謝のため」と答えて下さいました。

 

「はあ?命への敬意ですか~」と、
正直、よく分かりませんでした。

 

古事記を
翻訳するまでは・・・。

 

そして、命の働き」が「なのだ、と分かった瞬間、
雷に打たれたような感動が湧き、

 

命への敬意は
おのずと起こってきました。

 

ヒキガエルにも、私にも、
同じが流れていることに感動しました。


しかも、ヒキガエルのほうが
当時の私より、ずっと純粋に真摯に生きていると感じましたし・・・。

 

ですから、
自分の外側に神仏を「イメージ創造」して、

 

そちらを崇拝し、畏怖して、
肝心の「躍動」を縮こませるなら、本末転倒です。

 


私たちに罰を与えない。

 

つまり、いかなる
私たちに罰を与えない。

 

というか、神々を創造した側が
私たち(Origin)でしたよね!

 

そのことに関して、
一休さんの面白い逸話があります。うろ覚えなので、詳細が間違っていたらごめんなさい。

 

先輩の僧侶が、
あまりにも経文・教本・仏像ばかりを崇拝したり、畏怖するのを見て、

 

ある日の一休さんは
とんでもない行動に出ます。

 

お経が書かれた紙の上に、
ウンチを乗せて差し出したのです。

 

の営み」のほうの神聖さを忘れるなよ、
というメッセージだったわけです。

 

聖俗一如です。

 

俗っぽいものも、聖なるものも、
大いなるひとつです。

 

俗っぽいもの」を否定し、さげすむなら、
そこからは「生きた神聖さ」は生まれません。


泥から

ハスの花が咲くのですから。

 

最も神聖で、
最も大切なものは。聖俗一如の

 

がカラダを創り、壊し、
そして新化させている「神」なのです。

 

そして、いつも同じことを繰り返しますが、
透明な意識」があなたです。
この根本的な事実に目覚めると(覚醒すると)、

 

余計な理屈・情報が抜け去って、
命という神に関する「真」がもっと分かってきます。

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カラダへの「操作・支配」について


たとえば、何かが起こった時、

ほとんどの方が我を忘れて(=自分が「観察意識」だということを忘れて)


「大変~、何とかしなきゃ!
という意識状態になります。

 

この「何とかしなきゃ!」が
カラダへの【操作・支配】になってしまうのです。

 

せっかく天意のもとに
カラダがちゃんとやっているのに・・・。

 

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