偶像崇拝に進化繫栄はない
古事記では、
光を「ひ」と呼んでいます。
そして光は「い」でもあります。
「い」は(弥栄創造の)「意」なのです。
「ひ」は命であり、
霊のことです。
西洋の神秘学では「ひ」を
「プネウマ」と言います。
人は皆、この「霊」「プネウマ」によって生かされており、
その根源は虚空(ゼロ)です。
全ての人が
この「霊」を持っており、
霊の作用(=霊性)とは、
恵み深い「神の力」のあらわれのことです。
あらゆる全てを
満たしているのは、絶対的な霊性(神の力)ですが、
そこに間違って
絶対的ではない「有限」なものが闖入(ちんにゅう)すると、
それは
「偶像神」となります。
寺院に安置してある仏像を
「偶像」と言う人がいますが、そうではありません。
絶対ではないものや、
永遠無限ではないものは、
全て
偶像です。
有限の「偶像」でしかないものを、
私たちが「絶対視」するとき、
悪魔的な力(弥栄ではない魔術力)を
発揮します。
特に私たちが
有限の「財」に絶対的な信頼・信仰をいだくと、
【財の偶像神化】
が起こります。
人間は、自分が作った「人工的な偶像」に
魔術にかかったように縛りつけられ、
あたかもそれを
本当の「神」であるかのように崇拝し、ご機嫌を取る。
宇宙の繁栄は、
このような有限の「財」を、持つとか、持たないという選択では成立していきません。
宇宙において
繫栄が成り立つのは、
ただ、ご自身の
「絶対領域」(永遠無限の領域)に
「霊・いのち・神・呼吸」という
「真の財」を持つか、持たないかという選択しだいです。
この「偶像」には、
財産、知識、異性、名誉などがなりやすいです。
そして、古代の
神秘家たちが言ったように
偶像崇拝によって
「ものの虜(とりこ)となる」といった現象が起きます。
例えば、有限の「財」を絶対視して、
財の虜になった人の「霊・いのち・呼吸」は、
マモン(財神)が猛威をふるい、
支配欲というデーモンが荒れ狂うようになる。
その時、
私たちの「霊」は、
垂直な進化発展(本道)ではなく、
水平な横穴(外道)に曲がって入っていく。→これが墓穴というもの。
金銭や、個人的な損得勘定ばかりを
過度に追求するとき、
本来の「ひ・霊・プネウマ」
の働き(霊性)が失われ、神力(神徳)を失うのです。
間違った「偶像の道」に入っていけば
必ず転倒し、
逆に
悲惨な生活へと転落することが起こります。
偶像は、
弥栄創造の
神通力を
持っていません!!
「霊」に話を戻します。
それは命であり、呼吸であり、気息なのです。
目に見えず、
耳にも聞こえませんが、
気息(呼吸)を
口を使って外へ放つと
耳には
「音」として聞こえるようになります。
このように普段は
認知することができないもの、それは
古来、人を超えたものからの「作用」「働きかけ」として
物語られてきました。
宮澤賢治の
「風の又三郎」にあるフレーズですが、
呼吸・いのち・神の「働きかけ」を、
ドンピシャな表現であらわしています。
「どっどど どどうど
どどうど どどう・・・・・」
どこまでも
真っ直ぐに進みゆかんとする「いのちの音」です。
彼にはこのように観じられたのでしょうし、
やはり私にも観じられます。
どっどど
どどうど ♫
どどうど
どどう ♬ ♪
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