素の音(つづき)
(昨日の補足です)
「これは正しいが、あれは違う」
「○○は好きだが、△△は嫌いだ」と言うとき、
それはただ私たちが
「これは正しいが、あれは違う」という【言い方】【ことば使い】を
世俗から
刷り込まれただけに過ぎません。
それが世間一般の
「道理」とやらですが、
でも、さらにそれらを超えた「天の道理」があることを
忘れてはならないし、
世間一般の道理を除外せずに、
それでいて世間一般をはるかに超えた「天の道理」に沿っていくことが本来なのです。
天の道理=天の「素の音」が
全てを動かし、
全ての大調和を
保っていきます。
ですから、天の道理に沿わないような
不調和なものは、
ソレ自らの不調和のせいで、
自ら勝手に壊れていくだけです。
要は、自業自得なだけであり、
天はいかなるものも決して罰することはありません。
なんびとたりとも、
個々人には
天の道理の奥深さを判定する力など無いのだから、
「今ここ」という
一期一会の時において、個人の文句は不要です。
ただ感謝あるのみ。全体へ最愛を尽くし、
静かに全てのものを観察すればよいだけです。
そして、天の道理は
神意識の主軸であり、「限界なき発展」のことです。
ですから
「減るから困る」だとか
「無くなるから困る」というような貧しい概念がありません。
天の道理(素の音)は
「無限の弥栄発展」が基本であり、
大調和して
みなで豊かになっていく道理です。
逆に人間の道理(世間の道理)は
「いつか無くなる」というような有限の概念、限界の発想をベースにしています。
でも、あらゆる全てにおいて
限界は真実ではありません。
そして私たちは
限界なき弥栄の天の道理を「この世」に降ろすために、今ここにいます!
こんな話があります。
ハディルという男の師匠が街に出かけ、帰ってくるなりこう言いました。
「ああ、私は喜びでいっぱいだ!
街では最愛なるものばかりだった!」と。
ハディルは
「それは素晴らしい!私も街に行ってみなければ・・・」と思い、
早速出かけていきました。
でも、帰ってくるなりこう言いました。
「ひどい!この世は何ともひどい!
私には、何もかもが争っているように見えました。
それが私の見た街の光景でした。
私は落ち込むばかりで、まるで身を引き裂かれる思いでした」・・・と。
「そうだろう。そしてお前は正しい」と
師は言います。
「正しいですって?そのわけを説明して下さい。
師の体験と、私の体験が全く違うのに、正しいとはどうしてですか?」とハディルは質問しました。
師はたった一言、
「お前は
私のような【音】で
街を歩かなかった」と言ったのです。
「今ここの【音】の違いが、
二人の間に、体験や観察の違いを生み出したのだ」と答えたのです。
……………………………………
~初めに「ことば」ありき~
聖書にも書かれています・・・。
この場合の「ことば」は、
人間的な言語のことではなく、
宇宙創造の【音】、
【バイブレーション】のこと、素の音のことです。
それは「天音」「福音」「祝音」
とも言えます。
宇宙本来の「音」(素の音)だけが
全てを創造し、調和させ、弥栄にし、ハーモニーを奏でさせ、人・物・事・時空間を束ねていくのです。
あなたの意識(魂)が放つ「音」、
つまり命の躍動の音が乱れるとき、健康も乱れ、モノゴトもギクシャクします。
もちろん、乱すのは
ご本人の意識(魂)ですが。
全一に溶けた者の
意識(=和魂)から出入りする微細な「音」は、
薬の何万倍もの成果を
あげることができます。
キリストやブッダが
薬も使わずに病の人々を直せたのは、
彼らが放つ
「音」によってであり、
そのような「素の音」を
純粋に自らの音として放つことができたのは、
彼らが「自分個人」という【概念】を完全に超えて、
全一の魂(和魂)になっていたからです。
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