物語の主人公?
不覚なままであれば
個としての「あなた」は、
「自分物語」を
上演するのが大好きです。
悲劇仕立てであれ、喜劇仕立てであれ、
人生における「自分物語」を創作し、
あなたは必ず
「特別な出演者」になっているはずです。
きっと、まばゆいばかりの
スポットライトを浴びているはず・・・。
もし、ライトがないなら
それもまた小憎らしい「演出」だったりする。
そして、自分の背景となる周囲(&周囲の方々)を、
脇役・添え物として「格下」に置き、見下げている。
スピリチュアルという
神秘不可知の舞台の上でも、
それでも「自分物語」という古い台本を握りしめて、
主人公として演じ続けようとするのです。
何万回「上演」したか
分からないほどです。
その台本は・・・
やっぱり恋愛系?
家族ドラマ系?
親子の葛藤系?
あるいは富豪に成る系?
あるいは聖者達成系?
主人公を演じるのだから、
やはり大河ドラマにしたいですよね~。
涙あり、ハラハラドキドキも
いいですね~。
しかも、脇役たちからは
一目置かれたいですよね~。
その「自分物語」の主人公は、
どんな「性格」として設定していますか?
「今ここ」ではない「過去の一幕」では、
どんな境遇を演じてきましたか?
人というものは
ある程度の年になると
「自分づくり」を開始し、
「自分物語」の主人公に仕立て上げます。
どんなに綺麗事を言ったところで、
個の「自分」が強くある限り、
それが「脇役」であろうが、
つつましい「裏方」であろうが、
いかなる立場を演じるとも、
「主人公」であることに変わりはないのです。
「脇役物語」「裏方物語」という自己中心の台本を
作り上げていますから!
多くの人が、「自分物語」の
主人公となって生きようとしています。
そして主人公ではない他者は、
単なるアクセサリー・添え物だから、
主人公の都合のいいように考えたり、
適当に扱っていいと思ってないですか?
ところで、あなたが
自らの口で「弥栄に誠を尽くす」と言っている時、
「自分(=主人公)が
そのセリフを口にしているのだ」と思っていませんか?
→大きな間違い。
「弥栄に誠を尽くす」という【コトタマ】が
あなたの「口を通じて出た」だけ!!!
つまり、特別な主人公など、
どこにも居ないのです。
不識(ふしき)という
禅語があります。
かつて達磨大師が
皇帝から「法の本質は何か?」と聞かれた時、
「大空のように晴れやかで、
一切の迷いも煩悩もない、悟りすらもない“空っぽ”の状態だ」と答えました。
皇帝は意味が分からず、
「あなたは何者ですか?聖者ではありませんか?」と尋ねたところ、
達磨大師は
答えたのです。
「不識(知らん)!」と。
「一体何者なのか?」
という問いかけに対し、
「何者でもない」「知らん」
と答えたのは、まさに神妙です。
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