本来無一物(禅用語)

| すぴりちゅあるブログ

 

「コップには、もう半分“しか”水がない」
というマイナス思考になるのではなく、

 

「まだ半分“も”ある」
というプラス思考になったほうがいい、などと聞いたことがあると思います。

 

でも、「半分」に着目している点では、
どちらも執着は同じ。

 

 

半分が残っている」ということに
意識が【くぎ付け】になっている点では同じ。

 

では、100%空っぽのコップ(無のコップ)になってしまったら、
あなたはどういう考え方をするのでしょう?

 

コップ「銀行通帳」に置き換えて、
金銭に置き換えても同じことですよね。

 

どうでしょうか?
もっと真剣に考える気になりましたか?(笑)

 

が「空」のコップ(お金が「空」の通帳)
その「空」は、結果世界空っぽのことです。

 

創造の源(原因世界)としての空っぽのことではないですよ。
→ここに気付くとベスト!

 

“空”とは何か?」
“無”とは何か?」

 

この問いかけは、宇宙創造の前に、
「空」それ自身が自らに発した質問でした。

 

そしてこの問いかけは、
禅の修行僧が悟りに至るために、

 

師匠から
必ず与えられる課題(公案)でもあるのです。

 

現実世界のコップの水が
「無」という結果であるとき、

 

この場合の「無」は、
コップに水が「有る」ことへの対比の役割です。

 

例えば、
コップ70%の水が有ることのためには、

その対比として、
30%の水が無になっているという役割です。

 

コップの現実の水が100%」であることは、
現実の水が0%」ということです。

 

でも、禅の課題にもなっている「無」は、
現実面の結果における対比の「無い有る」の無のことではありません。

 

ただの「無い有る」という相対的な価値を超えた、
究極の絶対的不動のことです。

 

絶対的なのことです。

 

現実的な物事の「比較・対比」が生じる前の、
いっさいの現実が起こる前の、

 

この究極の絶対的な無、空っぽ
それが私たちという全一なる意識です。

 

しかも、しょっぱなからカタチが「無」であるため、
全く崩壊できません。

 

そもそも、私たち(全一なるゼロ意識)には、
カタチが無いわけですから、

 

そこに傷がつくことも出来ないし、
汚れがくっつくこともできません。絶対的な無であるならば、トラウマもありません。

 

まずは「何も無い」という意識世界があり、
そのうえで、

 

様々に個性化された私たちの現実世界があることを
知らねばなりません。

 

何も無い、純粋なゼロの意識世界のことを、禅用語では
「本来無一物」と呼んでいます。

 

個人的な我欲を
ガムシャラにかなえることも、

 

ただ不満を吹いて嘆いているだけの人よりは
ずっとマシです。

 

その実際の経験から
色々と学ぶことができるからです。

 

ただ、欲がかなうことで
頭が興奮していくため、

 

愛の感性が鈍化し、
我欲まっしぐらになるかもしれません。

 

 

個人的な欲はドンドンかなっても、

決して心底から

悟ったわけではなく、
霊的に進化したわけでもない。

 

「欲の成果があった・無かった」という相対世界からは
出ておらず、低い意識からは自由になっていません。

 

一抹の不安も
消すことができていません。

 

そうではなくて、
二度と不安も迷うこともない「究極の絶対安心」を得たいならば
(悟りたいならば)、

 

本来は何もない「無一物」という意識世界があることを理解するまでは、
日々精進するしかありません。

 

永遠の安心、真の安心、条件抜きの安心、
そういうものは、

 

目に見えた成果を
誰かや何かと比べて喜んでいるうちは、決して味わえない境地です。

 

 

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