デフォルト・モード・ネットワーク
個人としての自分“の”所有物など何も無い、
と先日書かせて頂きましたが、
もっと深く掘り下げると、
そもそも「確定した自分」など居ないわけです。
これといった自分がいないのだから、
名義もへったくれもありません。
禅語に「本来面目」という
表現があります。
「本来の面と目」ですから、
「真の自己」のことになります。
確定した個人はいない・・・、
だとしたら本来面目(真の自己)とはいったい何なのか?
ここを完全に悟る為には、頭の知識としてでは無理で、
全身全霊、腑に落ちるしかありません。
本来面目を悟るときも、そして
「ひらめき・直観・アイデア・旬メッセージ」が湧き上がるときも、
それは必ず
あなたの意識が
思考にハマっていないときです。
脳科学的に言うと、
「デフォルト・モード・ネットワーク」のときです。
脳科学の分野が、
やっとスピリチュアルな分野に追いついてきたといえます。
思考・関心や・注意を伴わないで、
脳がゆったりとした安静状態で、
しかも純粋な意識だけが活性化しているときの
神経活動のことを、
「デフォルト・モード・ネットワーク」
と呼びます。
お風呂に入ってくつろいでいるとき、
散歩しているとき、
つまり、頭の中がニュートラルになって、
ゼロの意識になっているときです。
勘違いしやすいのは、ただ脳がぼんやりしていればいいということではなく、
意識は「今ここ」にちゃんと醒めている状態です。
IPS細胞の中山教授も、
「何も思考が無いとき、ひらめきや直観が起こる」と言っておられました。
ニュートラルなゼロの意識のとき、
どの思考にも「接続」せず、無や空や透明を自覚しているとき、
私たちは「本来面目」(真の自己)を
悟りやすくなっています。
不思善・不思悪のとき、すなわち、善悪の一念も生じないとき、
完全に意識だけが冴えわたっています。
これが「本来面目」です。
ですから、「これが好き」「あれはイヤ」「それは良いことだ」「あれは悪いことだ」
などと言うのは、
自らの個人的な言い分であり、個人的な正義の道理でしかなく、
先日述べた「タマス」であり、本来面目(サットバ)ではありません。
よくよく思い出して頂きたいことがあります。
それは・・・
善だの悪だのとか、あれやこれやと思考が生じる前、
あなたは一体どういう感じでしたか?
色々な感情が生じる前は、
あなたはどういう状態でしたか?
明日だの、不景気だの、社会情勢だの、色々な予想やイメージが湧く前は、
あなたはどういう感覚でしたか?
分析や理論をする直前は、
あなたはどんな状態だったでしょうか?
いかがでしょうか?
そのとき、そこには何も無い状態だったのでは?
ただただ純粋な「我という感覚」しかなかったのでは?
それが「真の自己」です。無我です。本来面目です。
それが究極の「さかのぼり」(アセンション)です。
太古の初発です。
以上、もうボチボチ悟って下さい!
簡単なことですから!
そして、その無我のゼロ意識のまま、
弥栄の意志を発動するという創造ゲームに入って下さい。
あなたが無になって、
弥栄の意志が発動されれば全体繁栄が起こり、
そうでなければ、あなたには
世間的な悩み・トラブル・問題が生じてきます。
脅す気は全くないのですが、
そこは本当だからです。
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