サットバ(その2)
昨日の内容に続きます。
「彼女の傘をある男が盗んだ」という場合における「彼女“の”傘」という表現、
あまりにも普通に聞き流してしまい、誰も「ん?」とは思わないでしょう。
「私“の”お金」
「彼“の”仕事」
「あの人“の”学歴」
以上の例からも分かるように、
“の”は接続の役割を果たしています。
ですから、「彼女」と「傘」を
“の”を用いて接続すると、まるで彼女が傘を「完全所有」したかのような感覚になりませんか?
「私」と「お金」を
“の”を用いて接続すると、まるで私がお金を完全所有したかのような気になります。
これは、あくまでも「地上の道理」であり、
所有の概念です。いわゆる名義とやらのことです。
でも、この地上の道理を超えた「天の道理」(サットバ)に乗っかると、
私たち全員に発展繁栄が起こるのです。
地上の道理が持っている「限界」を、
天の道理は全く持つことなく、全てを超えているからです。
ただ残念ながら、人類の意識には
所有の概念(名義)があまりにも根深くしみついてしまいました。
相も変わらず「自」「他」という意識の壁があり、
それによってトラブルや争いが終わることができません。
自と他の間に作った意識の壁がワンネスの愛を妨げ、
全体繁栄の流れを遮断しているのだということを分かっていません。
「自分」という「くくり」がある限り、
それ以外は「他人」という「くくり」になるわけです。
そうなると、自分のナニナニ、他人のナニナニ、というような
地上の道理(所有)を主張することになり、「個人的な所有」に固執していきます。
「私のお金を貸してあげた」だの、「彼女の傘が盗まれた」だの、
「僕のお金で、カンボジアに小学校を建設した」だの、
どう言ったところで、
しょせんは「神のふんどしで相撲をとっている」だけ・・・。
傘もお金も、神のもの。
虚空のものです。
天の道理の支配下にあるのです。
ここが腑に落ちたら、
あなたはサットバです。
地上の道理は、その権限を
「天の道理」に明け渡さねばならないのです。
古事記に出てくる「国譲り」の逸話にも述べられているように、
地上の神々は
天の神に
支配権限を譲り渡さねばならないのです。
地上のあらゆる全ては、
もともと虚空という「公」に属するものだからです。
彼女の傘も、私のお金とやらも、
あらゆる全てが虚空からの「一時預かり」「一時的な接続」でしかなく、
個人的に所有できるものなど
一つもありません。
天界から地上界にギフトされた「恵み」を、
個々人が「おすそ分け」されているだけなのです。
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