危機
■昨日から山陰に来ておりますため、
メールや、お問い合せのお返事は、11月2日以降になります。宜しくお願い申し上げます。
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色々な危機に出会うことは、私たちの意識にとって、
この上ない重要なことです。なぜなら・・・・
危機だけが「エゴの終焉」
「“私個人”の死」への
扉になってくれるからです。
生は探求(冒険)そのものですが、この探求は、
エゴの死に直面するまでは、真の探求とは呼べません。スピリチュアルとは言えません。
エゴからの離脱(脱同一化)が起こらない限り、人は取るに足らない「うわべの幸せ」を追い続けて、
全く無駄に肉体死するのみ。
うわべの探求をしているうちに、肉体死のほうがあなたを探して捕まえに来ます。
だから、生きていることが無意識に怖くなるのです。
肉体死があなたをつかまえに来る前に、あなたのほうから
「死の本当の意味」「役割」を探しに行くほうが、生きる勇気と喜びが湧きます。
あなたは「エゴの死への恐怖」を超えるためにこそ、
エゴの死を(たった独りで)歩いて渡らねばならないのです。
肉体死は、みんなで一斉に「せ~~の!」と実行することができるし、
むりやり道連れにもできる(笑)。
でも、エゴの死は、
たった独りで
自由意志で渡らねばならないのです。
誰かが誰かに対し、
むりやりに強制することは不可能です。
エゴの死を渡って超えた時、あなたは全一愛の意識として覚醒し、本物の生が始まります。
そしてそれを本当に生きることができます。
それまでは、あなたは生きているとは言えません。先週の長期講座(名古屋)で、ある受講生の方が、
「今まで、生きていなかったことが分かりました!」と気づいて下さった!
多くの方が、自我という催眠暗示をかけられ、
眠ったまま歩いている夢遊病者みたいなものです。
私たちの内なる最奥の意識を活性化しなくてはならず、
その時、「生」の意味が分かります。
気づきの意識が活性化するまでは、生の意味が欠如されたまま、どこか退屈で不満な生を送ることになります。
それは真の生ではないのですが、あなたはそれでも構いませんか?
私の師も、私自身も、かつてはこの「世間的な生」を本物(リアル)と間違えていました。
でも、それは無理からぬことでした。
なぜなら、代わりのもの(しかも本物)があるなどと、
誰からも教わってこなかったからです。
意識が覚醒してから分かったことは、生は今までのものとは全く異なる命題で、全く別の体験で、
私たちが全く見慣れていないものだったということ。
まさに未知の世界なのです。
そこは、とびっきり喜びあふれる生しかないことが分かる。
その意味で、外から「教わる内容」をただ盲目的に信じ込むのではなく、意識的に自分で体験し、
油断なく気づくようにしていって下さい。
叡智の道、真理の道を歩むとき、最大の障壁が何かと言いますと、
他者から教わったことを盲目的に信じていることです。それは制限になるばかり。
私たちは、自らの調査と実践を通じて、真正(神聖)な生に達するしかありません。
今のままの「うわべの生」にすがりつくことからは、
何の意味も見いだせません。
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