かけるも「術」なら~(続き)
■またしても長くなってしまいましたが・・・できれば
最後までお付き合い下さい。
先日の「かけるも術なら、解くも術」の続きです。
「北◯◯」という国土に縁が深い神社に行った時のことです。
個人的な過去データとしては、
「あの国は嫌い」という「否定・判定」が
最初は顔を出して仕方がありませんでした。
ただ、それは自分ではないと分かっていますし、本質である中心の意識は
「あれ、そうなの?」くらいの
非常にニュートラルな意識状態で過ごせていました。「否定してしまう」ことをも受け容れつつ、鳥居をくぐりました。
その神社独特のスペース空間を全身で感じ、深く味わいながら、本殿のほうへ向かっていくと、
甘いような、少し切ないような感覚が訪れてきました。
それにも特別な判定をせずに、あるがまま受け容れていくと、
「ある画像」を見せられたのです。
上空から花びらが沢山舞い降りようとしているのだけれど、地表から5~6メートルの横一線で
見事にピタ~っと止まっています。
横一線に「結界」が張られているかのようです。
そして、その画像から伝わってきたもの、何となく言いたげなもの、
それを中立に言語化してみたら・・・
「花咲けど 花咲けど
地上に満ちぬ 散華かな」
ただし、もっと感性が鋭く繊細さに優れている方なら、
違った言語化になっていたかもしれません。
見せられた画像いわく、
天の者や、神社のご祭神が、どれほど真摯に国土の豊穣を祝ったり祈念していても、
天からの弥栄の花が地上に降りないのは、
地上で「弥栄を実践したくない者」が実に多い
ことを伝えておりました。
つまり、皆が公平に栄えるような国土の状態よりも、
自分の花をとにかく咲かせたいという「術」がかかっているわけです。
その「術」は、弥栄の実践をする決意が100%ではない方々
全員の想念です。
はい、
そこのあなたです!!
弥栄への意志(実践)に踏み切りたくない人だけが、判定&否定ゲームに入る!
新しい意識のステージでの「神ゲーム」がイヤだから
わざわざ判定・否定ゲームに入る。
私もかつては無意識に、
「術」は悪いものだから何とかして外そう!とするクセがありました。「良かれ」と思って外したくなるのです。
ただし、「良かれ」と思うその裏で、
「術は良くない」という術をかけている。まるでミルフィーユみたいに複雑な想念術の構造です。
その一個一個の「思い込み」「想念術」を見つけていくよりも、
自分を全て捨て去って
素っ裸の全一愛になってしまうほうが、術の解除が早いし、確実。
それなのに、いまだに自分のことが中心になる方がおられます。
いつだって「先ず自分ありき」です。
それでは「思い込み」を強めるだけ!(→これが自我の特徴です)
そのような「自分ありき」の状態では、視野も狭くなるだけで、
何の気付きも起きないし、意識の向上も無い。「上」とのつながりも得られない。
ご本人が全一意識(スペース空間)にならない限り、
個人的な問題も昇華(解決)されません。
話しを戻しますが、私はその画像が見せてくれた全てを
丸ごとOKしました。
ですから、舞い降りる花びらは美しくて素晴らしいけれど、結界や術は醜悪だ
などという判定・否定は全く湧きませんでした。
丸ごとOKし、きびすを返して帰ろうとした時、もう背後になったはずの画像がまた見えました。
横一線の結界が消え、花びらが地上に舞い降りたのです。
ヒラヒラと美しく・・・。
「ほんとに私は何もしていない。ただ来て、ただ観ただけ」
と思った瞬間、「上」からの声が聴こえました。
「それが皆のライフワークだ。あらゆることを全一の視野から見届け、見すえることが皆の仕事だ。
滞って変化しないような【現象】をただ見通すだけで、
その滞りが終わるのだ」
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