占合(うらへ)
令占合麻迦那波(古事記・原文)
「占合ひ」まかなはしめて(古事記・書き下し文)
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古事記の原典に【占合】という表現が出てきますが、
本居宣長氏は「うらへ」と読みました。
「うらへ」は
「卜相」という漢字の時もあります。
「うらへ」とは、
ある方法をもって
「神意・天意」を問うという
極めて神聖な行いだったのです。
虚空の意、天の意、「そんなものがあるわけない」と思う人にとっては、
内なる「上」に向かって「神意を問う」
などということは
あほくさく、滑稽なことでしかないのです。
あらゆる全てを、
人の頭で、個人の意見で、もしくはAIで
何とか解決しようとします。
でも、
「何事も、全て人間の思慮分別で決しうる」
と考えている人があるならば、
それこそ思慮の浅い人と
言わねばなりません。
実際、
現実生活というものは、
学問や科学では計り知れない広範囲、
人間の思慮だけでは
理解できないことがあります。
それでも事を決しなければならない場合、
やみくもに度胸だけで実行するより、
「うらへ」によって
「神意を問う」ことのほうが賢明です。
ハナから「うらへ」を迷信あつかいし、
論理や人智やAIをもって万能とし、
何事も合理的にのみ決定されるべきと考えている現代人のほうが、
むしろ、
遥かに大きな迷信に陥っていると言ってもいいかもしれません。
充分に、十全に、全一愛をもって
思慮を尽くした結果、
その確認の方法として
「うらへ」を使うことは賢明です。
「人事を尽くして天命を待つ」
という心構えです。
最悪なのは、
自らの愛の思慮もなく、
全面的に事を丸投げするために「うらへ」を
行なうような人です。
悲しいかな、
これが俗に言う「現代の占い」の現状です。
自らは徹底的な努力もせず、
愛の思慮を面倒がって、
責任から逃げるために「うらへ」を行なう人です。
それはもう「うらへ」ではなく、
自分の内面の
病的状態から起こっているものです。
現代科学の第一線に立ち、
その研究に従事している本物の学者さんたちは、
必ずその人なりの
何らかの「うらへ」の心境に到達しています。
それによって研究の道(これも神ながらの道)を
切り開いています。
真の科学は、神ながら道と
全く同じです。
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