「超越(全体)」VS「限界(部分)」
宇宙に存在する万物、
森羅万象の根源(根本)には、
「常に成長する」
という原理原則があるのです。
したがって、
「良い時があれば、悪い時もある…」
という不自然な法則は
ありません。
そんな根源(虚空)から生まれた私たちの
意識と御神体もまた、
宇宙の高次存在と同じように、
常に「霊的成長」を
し続けるのが本来の姿なのです。
以上は、かつてヒーリングを習った時の
先生からの言葉です。
私たちが「虚空の子」であることへの
深い意義と謙虚さを
感じさせてもらえた大切な教示です。
昨日は、
永遠無限に及ぶ意図(虚空の定める力)が
いかに完璧な質の意図であったのかを
書かせて頂きました。
いかなる時代であれ、
いかなる肉体の時であれ、
私たちは「それら全て」なのです。
現在の具体的状態が何であれ、
あなたが必ず
「いつか」「どこかで」意図した通り、願った通りになっている、
そのことを素直に理解し、
認めて下さい。
ただし、責める必要はありません。その代わりに
【のりなおし】【意宣り直し】
が必要です。
「現在の自分」などといったような、
永遠無限の中においては、ほんの微々たる一瞬でしかない、
ほんの一部の自己でしかない、
そこだけの至福を願うこと(=我田引水)は、
次の瞬間や、
別の瞬間の自分には
全く行き渡ることができないのですから。
ちょうど、「我田引水」に関して
ある知人(覚者)が
センスのいいブログを
アップして下さったので、その要所を
以下に引用させて頂きます。
…………………………
皆様ご承知の通り、
不覚社会の水回りがとんと怪しくなっている。
自然が牙を剥き始めたとか、
そんな意地悪モードで出て来た画面ではなく、
「中心」に在ることの大切さが
浮き彫りとなった動き。
そしてもう一つ、
“大切なこと”を教えてくれている。
外に起きることは、
まず内に起きている。
不覚社会に生きる人々の持つ
「我が身、我が家、我が一族、我が社、我が地元、我が国だけに繁栄を!」
と言う内なる我田引水の思いが、
お望み通り
特定の時期と場所と言う“部分”に
「水を集める状況」
となって現われている。
特に大きく雨が降った地域が悪かった訳では勿論なく、
全体の「一部分」
という役割を今回買って出た。
それでも何故
あれらの場所だったかを敢えて言うなら、
「固定観念」が
とりわけ沢山保存されていたから。
時にそれは
「ふるさと」とか、
不覚の目に美しく映るものだったりする。
線状降水帯も含める雲龍の活動は、
本来、龍の力は
分離したままの不覚社会には役立たないことと、
そこを人の都合で縛って
雨乞いや雨避け等に奮って来た神通力を、
今後、不覚者が扱うことは出来ない
と言うお知らせとなる。
男の字は、田の下に力を置く。
本来なら、
「全ての田に
水を注ぐ意で動く」
のが男の見せ所なのだが、
男性性を担当する不覚状態の分割意識は
無論そんなこと分かっちゃいない。
口開きゃあ「我が田、我が田」の
“「おらが」くん”揃いなのだ。
“おらが行動”が止まる時、
それは
「あれ、“おらがおらが”で来たけど、
おらって
本当に居るのかな?」
と、ふと気づき、内省を始める時。
そこで初めて、
真の大人になる一歩を踏み出す。
はっきり申し上げておく。
「我が子」も「我」であり、
「我が孫」も「我」である。
「血を分けた可愛い“我が子”」って
「誰の」血で、
「誰の」子だろうか。
“誰でもないもの”
しか居ない世界で、
「誰か」がそこに居るとでも?
…………………
■明日は、長期講座(名古屋)に集中したいため、ブログ&メールはお休みさせて頂きます。
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