マインドフルネスの盲点(片寄り)

| すぴりちゅあるブログ

 

ちょくちょく「マインドフルネス
というスピ言葉を
耳にしていましたが、
あまり興味がなかったので、
気にもしませんでした。

 

ところが、昨日の朝、
モーニング・コーヒーを飲みながら
目を通していた男性週刊誌に
ソレに関する記事が載っていました。

 

マインドフルネスのことを
簡単に説明してあって、
今ここで起こっていることを、何も判断しないで、そのまま感じて受けとめること
と書かれてありました。

 

確かにそうなのです。
起こったことを感じて受け容れなければ、
出来事を【知る】ことが
できないし、
受け容れなければ、その出来事が崩壊(昇華)できない。
(終わらない)

 

つまり、マインドフルネスって
ゼロポイントの受容性マイナス/女性性)の側面です。
ただし、
受容性だけにフォーカスしていては
自分が何を欲求し、
何を意図していたかという男性性
気づくことができません。

 

気づけないなら、
その意図を変更すること
いのり直しすること)が
できない。つまり・・・

 

天の意図プラス/男性性)を発動しないなら、
自我の意図した出来事が
繰り返され、

延々と同じような感情を
味わい続けるハメになる。

 

もう少し
別の表現で説明します。

 

どんなに
マインドフルネスの技法(?)を

駆使したところで、
ご本人の意識が、
相変わらず

人格(自我)の中に置かれていたなら、
どうなると思われます?

 

相変わらず自己中な
自我の意のり
(=自分の要求に応じて
ほしい)
発動されたままだから、
出来事を、
受け容れても、受け容れても、

ず~っと
同じパターンの

出来事が繰り返されます。

 

延々と同じような感情
受けいれ続ける羽目になる。

 

これって、私たちが過去にも
ズ~ッとやってきたことではないですか?

 

これ以上は受け入れがたい!」と思えるような、
辛い感情さえも
延々と受け容れてきたのでは
ないのですか?

 

マインドフルネスなどと
言われなくたって、
皆様も

今までに充分
受け入れてきたのでは?

頑張って頑張って
受け止めてきたのでは?

 

そして、それに疲れて
嫌気がさしたからこそ、

何らかの「道」を求めたのでは?
スピリチュアルを求めたはずでは?

 

そして、その「道」というものが
神ながらの道であり、
人格から神格への超越であり、
創造神の意識(虚空のゼロ)としての
覚醒だということです。

 

そして、自己中の「意のり」から、
天の「意のり」へと
あなたの意識がシフトしなくては
未知の道は始まらない。

 

ご本人の意識が、
人格(自我)を超えた虚空(ゼロポイント)に
意識を置き、
神の意(天意)を発動しない限り、

マインドフルネスをいくら実践しても
意味がない。
(他の技法もしかり)

 

人格のままでのマインドフルネスなら、
その場しのぎの

「カタルシス」しか得られないし、
むしろ癒し中毒になりかねない。
決してカルマの輪廻からは
出られない。
過去を超越できない。

 

あなたが
創造の意識(ゼロ)として覚醒し、
マインドフルネス(真の女性性/イザナミ
を使うだけでなく、
天の「意のり」(真の男性性/イザナギ
を起動してこそ、
神のゼロ意識として
覚醒したと言えます。

…………………………………………

補足メッセージ

イザナギイザナミ
仲たがいを、
うまく仲裁した神としては

菊理姫が有名です。

女性性も男性性も
ともに等しく「中和」させ、
ゼロに戻すという働きをする神です。

 

白山神社の菊理姫は、
全ての人間の意識を

虚空のゼロポイントに「結ぶ」までは
自分の活動を永遠にやめないと
虚空に誓った神です。

 

 

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