愛の乞食

| すぴりちゅあるブログ

無数の人々が、一生を通じて幼稚なままでいる。

年はとるけれど、決して成長しない。

その精神は未熟で幼稚です。

常に愛を必要としていて

食物の栄養のように愛を渇望している。

言い方はキツイですが、乞食のような状態です。

 

 

欲しがってばかりいる人は、

常にビクビクして生きることになる。

自分に対する尊厳を全く感じられず、

愛を欲しがっていることが、他の人に見透かされそうで怖い。

愛の代替行為として、

お金、名誉、肩書き、賞賛、ビジネス成功を

欲しがったりもする。

 

 

私たちは赤ちゃんとして生まれ、

幼児期には母親に依存する。

耳が痛い言葉かもしれませんが、

この時の子供には、真の愛など無い。

母への愛は、「欠乏」から来る愛だ。

 

 

Baby feeds on MOM's breasts母なしでは生きていけないから、

生存の必要性から母を愛する。

子供にとって、母は「命綱」だからです。

実際には、子供の中では、

まだ真の愛は育っていない。

 

 

必要を満たしてくれる女性なら、

生きていくのを助けてくれる女性なら、

自分を守ってくれる女性なら、

どんな女性でも彼は愛する。

幼児が母から得るのは、ミルクだけではない。

 

 

母からの愛も食べ物のひとつであり、

必要不可欠なものです。

そして、多くの人が、

このような幼児期の愛のままで、

愛を本物にすることもなく、ただ年をとっていく。

 

 

大きく分けて、二種類の愛がある。

アブラハム・マズローは、

欠乏の愛」と「存在の愛」(いのちの愛)とに分けた。

クライブ・ルイスは、「必要の愛」と「贈る愛」とに分けた。

欠乏の愛や必要の愛のほうは、

他者に依存する未熟な愛のことだ。

 

 

愛という文字を使ってはいるが、真の愛ではない。

幼児の時のまま、ただ必要だから、

相手を手段として利用する。

相手を使って搾取(さくしゅ)する。

とても上手に操作し、支配し、所有しようとする。

情が深くて、まるで愛のように見えるが、

他者を利用しているに過ぎない。

 

 

これが99%の大人にもまだ起こっている。

人間が学ぶ愛の最初のレッスンは、

子供の時に開始しているというのに。

 

 

このような、愛を必要とする未熟さから卒業して、

逆に愛を放ち始める瞬間に、

人はようやく成熟する。

最初はハートが痛い。

愛を全く放つことなく、ハートは今まで閉じていたからだ。

 

 

それでも、愛を放ち続けていくと、

本人の中から、さらなる愛が湧き出し、溢れ出し、

与え始め、全体と分かち合いを始める。

未熟な時は、

どうやって沢山のものを獲得所有するかが重要だった。

 

 

成熟するにつれ、いかにもっと与え、

無条件に与えるかが重要になっていく。

この時、愛は依存ではない。

相手がいようがいまいが関係なく、

常に「愛の状態」でいられるようになる。

 

 

愛は「関係性」ではなく、

まさしく自立した「状態」のことなのです。

人がいようがいまいが、

全体なるものに、愛の喜びを捧げ続ける。

それは、いのちの本質であり、存在の愛です。

 

 

ひとり在ることは、愛に在ることと同じ意味です。

あなたが愛に成熟する時、

意識は覚醒しています。

逆に、意識の覚醒が起これば、愛はいやでも現われます。

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