私の魂?
◆訂正とお詫び
→博多の1DAYセミナーの日程が間違っておりました。正しくは、2月4日(土)です。
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誤解を解いておきたいことがございます。
それは、魂とスピリット(聖霊体)は
全く異なるものだということ。
世間では、魂とスピリットという言葉の意味あいが、
ゴチャゴチャになって氾濫(はんらん)しています。
でも、何回も著書に書いてきましたが、
魂とは「既知データ」の寄せ集めのことです。
過去世から、あるいは先祖代々から「遺産」として譲られて、
それを【我が物】と所有し、
自分の身体の中で何回も使いまわしてきた道具です。
これはまさに「タマころがし」といえます。
先祖代々、人類代々、非常にやり慣れた体験のデータを、
ちょうどCDロム(コンパクト・ディスク)にしたようなものが
「魂」なのです。
ですから、魂は生命ではありません。生きているわけではないのです。
幾度となく繰り返してきた過去の情報に過ぎません。
でも、これを「個人の私」として錯覚してしまうのです。
個人が生きているわけではないのに、
魂のデータを読み取ってしまい、
まるで個人が生きているかのように錯覚する。
「肉体は死んでも、魂は永遠なり」ってよく言います。
魂が永遠?
それはNOです。「永遠であって欲しい」という執着でしかない。
この執着こそ、輪廻の根本原因!
肉体を所有できないなら、せめて魂くらいは
どこかに残しておきたいと思うからですが、
自我消滅への恐怖心がミエミエ。
だから、中有界で幽霊になってまで生きていたいし、
迷い続ける。
魂という道具によって、
あなたは自分っぽいものを「所有」できる。
そこにすがって依存して
「ああ、自分が居る!」と安心できる。
「自分を所有している!」と思うことで
安心できる。しょせんは偽の安心ですが。
「魂は永遠なり」と決める時、
その宣言どおりに、魂は延々とリサイクルされ、
使われ続けるわけです。
使い古した魂を、何回も何回も経験するハメになり、
肉体的な輪廻が繰り返し行われる。
人類の先祖代々からの魂の輪廻を何とか断ち切って、
そのリサイクルから出て、
未知なる体験へ向かわせるには、
「家系を断ち切る」という現象さえもギフトされる時があります。
私がその例でした。
どうあがいても、結婚が叶わない。
そして子供を欲しいとは思えない。その意志が全くもたらされない。
なぜか?それは魂というCDロムに私が気づき、
その人類代々のCD再生から自由になり、
純粋な「今」の意志を取り戻すためだったのです。
だから、「虚空」の天意には頭が下がる思いです。
でも、当時はそんなことが理解できるはずもなく、
「何で、【私の】家系が途絶えてもいいのですか?」
と先生の一人に尋ねたら、
「真の霊的進化と全体繁栄のために、【私の】という所有概念を外し、
家系の魂の連鎖から自由になる必要があるから」と教えて頂きました。
家系から受け継いだ魂は生きているわけではなく、
単なる情報やデータでしかない。
ですから、魂の欲求は、
今ここに生きているスピリット(聖霊体)の「真の欲求」とは異なるわけです。
【私の】魂などというものは存在せず、
みんなで使い古してきたデータでしかない。
もちろん、「個人の私」などというものなど
存在しないことがお分かりになるはず。
あなたという個人など、どこにも居ないのです。
色々な「意識の状態」が存在するだけです。
狭くて低い意識のままであれば、
魂(既知データ)をころがすだけですし、
拡大した高い意識になると(聖霊体)になると、
新たな青写真(未知データ)を取得することになります。
ですから、「自立」とは「魂」からの完全離脱のことであり、
これによってアキアキするような輪廻から、
あなたの全身全霊が解放されます。
これが真の死(深い死)であり、
新生(永遠不滅)への生きる道なのです。
あなたは、「個人の私」などいないことが、実感できていますか?
個人の私が全く居ない時、
私たちの内なる身体空間は、
純粋な光だけが躍動して輝きを放ちます。
澄み切って輝いているから、
古事記では「真澄の輝身」(ますみのかがみ)と申しています。
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