言葉は神の舌
昨日、ある方から、『14歳の哲学』の著者でもある池田晶子さんの
「言葉の力」のコピーを頂きました。
中学校3年の国語の教科書(教育出版)に掲載された文章ですが、
なかなか素晴らしいので、一部を抜粋して以下に書かせて頂きます。
当たり前のこととして、サラッと読み流してしまいがちですが、
内容に奥行きがあり、着眼点も素晴らしいので、
噛みしめながら読んで頂ければ幸いです。
人間は言葉を話す。話すだけではなくて、読んだり書いたりもする。
これは本当に不思議なことだ。
多くの人は、これを当たり前のことと思って、
それについて考えるということをほとんどしていないけれども、
当たり前のことより不思議なことは、この世の中には存在しない。
言葉の不思議というのは、当たり前の不思議のうちでも、最も不思議なものだ。
たとえば、人間は、いつ、どこで言葉を覚えたのかを考えてみよう。
私たちは、まだ言葉を話す前の子供の時、
言葉を話すことを、両親やまわりの大人たちから教わった。
しかし、彼らもまた、彼らの親たちから教わったのだ。
そうすると、言葉は、いつ、どこで、誰によって作られたのだろうか。
祖先たちが大勢で集まって、
「この物は、この名で呼ぼう」と決めたのだろうか。
この想像は、一見まともなようであるが、
少し考えるとおかしいと分かる。
「この物を、この名で呼ぼう」と皆で決めるためには、
「この物と、この名は、同じことを意味する」と
先に分かっていなければならないはずだから。
そもそも、ある動物を、ある名で言うと決めたのは、誰だったろうか。
それは決して人間ではなかったのだった。
水を「水」と言うことで在らしめた神様だ。言葉としての神さまだ。
人間が言葉を話しているのではない。
言葉のほうが、人間によって話しているのだ。
生涯に一度でも、この逆転した視点から、自分と宇宙を眺めてみるといい。
人生とは、言葉そのものなのだと、人は必ず気がつくはずなのだ。
ところが、言葉を単なる道具だと思って、
大事に扱うことをしない現代人は、
当然のこと、言葉からのしっぺ返しをくうことになっている。
「人生なんてツマラナイ」と、いつも口にしている人が、
自分の人生をツマラナイものにしているのは、
言葉も自分も大事にしていないからだ。
「しょせんは言葉だ。現実は厳しい」と言う人は、
現実が厳しいのは当然だ。
言葉を信じていない人は、自分のことも信じていない。
「言葉ではああ言ったけれども、本当はそう思っていない」・・・
そんなふうにしか生きられない人生は不幸だ。
言葉と自分が一致していない人生は不幸だ。
しかし、本当の自分とは、本当の言葉を語る自分でしかない。
本当の言葉においてこそ、人は自分と一致する。
言葉は道具なんかではない。言葉は自分そのものだ。
自分の語る一言一句が、自分自身を、人生を、
確実に創っているのだと、自覚しながら語ることだ。
そのようにして、生きることだ。
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