無=全体
「無」という言葉と
「全体」という言葉に
中立に留意してみると、
面白いことに気がつく。
ほとんどの人は全体という表現を好む。
全体のほうが無よりも何となく響きがいい。
以前よりも大きく拡大した気がするし、
得をした感じがする。
無は何となく危険な匂いがするから
不安になる。
無と聞くと、以前よりも減った気がするし、
全部をはぎ取られて不安で、損をした感じになる。
ですから、表現としては
「全体」を使うと大衆受けするし、
一般的に喜ばれる。
でも、それは自我(マインド)が
喜んで肥大化していくだけのことです。
それによって全体(全一)になれるわけではない。
真の存在(虚空)の開花になるわけではない。
本当の意味で全体になる為には、
やはり先に「無」になるほかない。
無限に広大な意識存在になる為には、
分離性・部分性としての
個人的な自我を溶かすしかない。
この究極の真理は、
自我にとっては大きな痛みのように思えるけれど、
それは他者から植え付けられた思い込みでしかない。
全ての根っこ、全ての源、全ての母
である虚空へ消えるのは、
ちょうど大海へ落ちる雨のしずくに例えられる。
大海へ消えるしずくは、
初めて広大な生というものを実感できる。
大海の中では、誰も分断されていない。
一体愛しかない。
そして大海に消え去るのは
「境界線」だけであり、
境界線の消失こそが
無自己・無我・全体ということです。
単なる言葉の境界線が
自我(しずく)を作っていただけだと分かる。
瞑想に目的があるとしたら、
自己を覚る(さとる)ことではなく、
無自己を覚ることにあります。
つまり、全体への消失(深い死)だけが
最終的な至福と大安心だと覚ることです。
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