全てを抵抗なく受け容れる
「老いも病も受け容れる」、
そんなタイトルの本が出ていました。確かに!
でも、これだけでは片寄りなのです。
老いることや、病いになることを、
抵抗せず素直に受け容れるのであれば、
「若くあることや、健全であること」をも、
同時に抵抗なく、今ここで受け容れる・・・。
「絶対に死ぬのだ」と受け容れるなら、
「絶対に死なないのだ」ということも
等しく受け容れる。
そうでないなら、「全てを受け容れた」とは言えないのです。
「そんなこと、ありえない」「そっちは絶対にイヤ」
というように、どちらかに片寄って、
真逆や対極を否定し、そこに抵抗し、
「負けまい!」として戦ってきた、それが自我です。
自我の最大の特徴は、
戦うために「敵」を作って、
そこに抵抗し、負けまい!とすることです。
ですから、自他の境界線をなくすことや、
自他一体になることや、
全てを受け容れるということには、
自我は全く興味が湧きません。
全てを受け容れてしまうと、
もう戦えなくなるし、
勝つ快感も得られないからです。
そして、自我には、
全てを受け容れる=「負ける」
という感情的な思い込み(プログラム)が搭載されています。
負けたくない自我としては、
「全てを受け容れる」ことなど、
絶対にまっぴらごめんなのです。
この負けたくないクセは、
他者に対してだけでなく、
現実のモノゴトに対してだけでなく、
いつかどこかの「自分自身」にも向けられています。
あの時代の貧困だった自分、
賞賛とは無縁だった自分、
無名のまま、目立たなかった自分、
病気がちだった自分、
勝てなかった自分、
老齢化した自分、
過去世ですでに何万回も体験した自分。
要するに、いつかどこかの自分にさえも
「絶対に負けまい!」として、
自分が自分に抵抗し、
自我が自我を批判する。
このような、負けまいとする自我のクセは、
「緊張&固さ」につながります。
みずみずしいはずの「生」「いのち」が、
イキイキした人生が、
固くこわばった「死」のようになります。
実は、本当の「生」(新化・創造)は、
とても柔らかく、柔軟で、変幻自在な動きです。
実は、もともとの「死」(崩壊)も、本来はソフトで、
柔らかい繊細な働きだったのです。
それなのに、
自我によって体験される人生という「生」は、
負けまいとすることによって、
とても緊張して固いものになってしまう。
そこには「遊び」(内側の余裕)が全く無い。
この内側の「遊び」(余裕)のところに
虚空の意志が動くのに、実に残念です。
この内側の「遊びの欠如」を、
外側の娯楽・快楽という表面的な遊びで
代替しようとするが、ムダだ。
だから、そんな緊張した自我が体験する「死」も、
固くて苦しいものになって当然。
あなたが、もし今世、
自由意志で肉体死を選ぶとしても、
先に深い死を経由して
自我が完全に消えているならば、
(死への抵抗が無いので)、
あなたの「肉体死」は
必ずソフトで、楽なものになるのです。
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