自己証明の崩壊(=アイデンティティの深い死)
「私の」過去世、「私の」思い、「私の」意志、こういう場合の「私の」という所有表現は、本来は虚空のものだった。つまり源神のものだった。
ところが、虚空から分断された自我の意識が、それぞれに「私の」とか「私が」を使いはじめたから、余計に分断・分離が進んで、ますます自我の肥大化を起こしていった。
「私の過去世は~~時代の○○です」「私は~の生まれ変わりです」「私はプレアデスの出身です」「私は金星から地球に来ました」など、個別の意識を強めてきました。
でも、これは個人的情報なのではなく、人型生命体全員の過去情報なのです。自我が特に執着したい過去のデータを、ただ個人的に所有化するだけ。
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自我のマインドは、何かしら普通ではないものを追い求める。
それが自我の何たるかだ。
常に何か「特別な誰かさん」(somebody)になりたがる。
個性を欲しがり、自己証明したがる。
「誰でもない者」(nobody)を嫌がる。
それは虚空(創造の源)を嫌がっていることになる。
(いやがっていると、死もないが新生もない)
虚空(創造神)は、体・カタチを超えており、
いっさいの「体がナイ」のだ。(まさにbodyがnoだ)
あなたは「誰でもない者」(nobody)になることを恐れていますか?
いつも空白を恐れ、自己証明の情報(過去世や過去のデータ)を握りしめていますか?
内なる虚空を恐れ、思考でも感情でも、何を使ってでもいいから
空白を埋めようとしていますか?
自己証明こそが悲劇と不幸の元凶なのに、
自分を自己証明できないくらいなら、
不幸な悲劇(感情ゲーム)のほうがまだマシだと思っていたりするのです。
虚空に入る時の、アイデンティティの崩壊が怖いから、
現実人生を舞台にした「主演ドラマ」を創って演じるほうに戻ってしまう。
自我(自己証明)が消えることが怖いから、
かりそめのスピリチュアルに逃げたりする。
「誰でもない者」(nobody)こそ、まさにあなたの本性・本質。
宇宙のモノゴトの道理からしても、
あなたは「特定の誰か」(somebody)にはなれない。
そのほうが不自然なのだ。
でも、その不自然な自己証明ばかりをやってきた。
必死になってそれをやり、そして結局は不幸で不満足だ。
この世の地獄、この世の不幸というのは、まさにこの自己証明をすることに他ならない。
自己証明は、分断と分離しか起きず、そこに全体愛は生まれようがない。
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