自我の正体
昨日のBさんの続きですが、「皆様のお役に立てるなら」というご本人の了承を得たうえで、ここに掲載させて頂くことになりました。興味が無い方はスルーして下さい。
「(苦しいから)楽になりたい」という悩みを聞いた時、「この世に苦しい現実とか、問題のある現実というものなど存在していません。もともとのハレバレした気分を、単に自分勝手に苦しい感情に変質させてしまっただけ」とお答えしました。
でも、あまりにも苦しさがハンパないご様子でしたので、「苦しみの原因はどこから来ていますか?」とBさんの「神の部分(光の柱)」に問いかけました。
私の思いこみも、予測も、いったんは全部ゼロにして、真摯に光に問いかけたのです。
そしたら、「あ!」という感じで画像が浮かびました。
比叡山あたり?で祈りの活動をしていた「高僧」が、今のBさんの肉体を占拠した状態になって、それがBさんの自我の中心を成していたのです。
予想外でしたが、その高僧は人民の信頼もあつく、やさしくて、人格も申し分ない立派な方でした。
「それなのに、何が苦しいのか?」と私はさらに高僧の中へ意識を深くもぐらせてみました。すると、高僧の内面が分かってきたのです。
彼はこう思っていたのです。「人々の苦しみを、自分【が】何とか救ってあげたい」と。それが菩薩道であり、大日如来になることだと。
実は、ここのところ、そういう「人を救いたい」という自我を持った方に多く出会っている気がしています。
「他者を救う」と思うことによって、人民の苦しい波動だけにフォーカスすることになり、彼らに同情することによって、苦しい気分に【同調】していき、やがて高僧自身がボロボロの精神と肉体になり、その内面のままで肉体死を迎えてしまったのです。
昔のことですから仕方ないのですが、僧たちも「菩薩道」を勘違いしたのです。
菩薩になる道、神仏になる道、神ながらの道、スピリチュアルな道、それは「各自が真の自己になっていく道」であって、「自分の自我」が「他者の自我」を救う道ではないのです。
自他ともに、各自各自が「天」「神」「源」とつながることでしか、誰も救われないのです。
自分という個人【が】、他者としての個人を救おうとすることは、どこまでいっても【我】の思いであり、エネルギー的に無理があるのです。
Bさんの肉体を占拠し、いまだに「苦しい、苦しい」と呪縛されたままの高僧。
ですので、「もう、苦しい気分の人を助けなくていいですよ。そして、その苦しみは、人民の本質でもないし、あなたの本質でもないですよ」ということを、Bさんから高僧に伝えてもらうようにアドバイスさせて頂きました。
一気にBさんの生気がよみがえり、イキイキとした本質に戻って下さいました。自我は【過去&過去世の複合体】ですが、その中で最も中心となる自我に気付くと、一気に霧散します。
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