経験の「時差」
あなたが神の質(タチ)に同調一体できたなら(つまり、放射する光の体になったなら)、もう優劣の比較などできなくなり、万人が平等だという宇宙の真理が腑に落ちます。
光の存在の観点からは、何も「差」は無いことが分かります。ですから、私たちは、神や先生や導師とも平等です。
ただし、いくら平等とはいえ、物理次元での「経験の差」はあるのです。現実的に、先に経験し、先に実感し、先に学んだという「時差」はあります。(たまには、弟子より経験が少ない師匠もいますが・・・汗)
その意味で、先生や師匠や導師や神様は、「上」の存在というよりは、「先輩」というだけのことです。
弟子であれ、師匠であれ、個々人の能力がダウンロードされて引き出されるには、必ず「内なる中心」につながり、光の存在(放射性の質の体)になるしかありません。
古事記にも書かれていますが、「神ながらの道」であれ、華道・柔道・剣道・空手道であれ、「道」を極めようとするならば、書物や文献を読みあさったくらいではダメで、一時期は必ずその「道」を歩む師に習うことが必要です。
先生の側は、個々人に「内なる中心」へのつながり方を教え、各自が「愛と喜びの光を放射する存在」として「完全自立」してもらうために、しばらくの年月だけは寄り添う、これが先生や師匠の役割です。補助輪とか添え木です。
学ぶ側としては、最初は「先輩としての師匠をまねる」ことから始まりますが、いったんは自分のやり方(自我の方法)を全部手放すことが必要になります。
手放すには、師匠という名の先輩への信頼が必要となり、信頼するには、先生や師匠が「内なる中心」につながった上での具体的な経験をしているかどうかを感じ取ることが大事です。
内なる中心につながって実際の経験がちゃんと出来ているかどうか、学ぶ側が何となく「直感的」に見抜けるような中立な意識になっていなくてはなりません。
学ぶ側の自我が強くて、「上下」の意識や「優劣」の意識が強い場合、師や先生を中立に見抜けなくなってしまいます。
でも、「内なる中心」からズレることは、役割が師であれ弟子であれ、誰にでも起こります。それを責めたり、批判することは意味がありません。
気付いたら「直し」をすればいいだけです。
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