量子物理学を超えて
ここのところ、中庸ニュートラルでいればいるほど、「知っている状態」が強まっています。
そして、さらに深く掘り下げられた内容が伝わってきました。
先ず、「量子物理学を超えろ!」と言われました。
「え!?」と耳を澄ますと・・・・・・
『光の粒子・素粒子たちは、観察者によって観察されて初めて実在すると言われているが、その【究極の観察者】は誰だと思う?そこがもうおざなりになって忘れていないか?
観察者とは人ではない。人は全能の観察者ではないのだ。
【究極の観察者】は神秘の領域にあり、超意識のゾーンで、アンタッチャブルの聖域だ。数式でも、化学式でも、絶対にあらわすことができないのだ。
決して全貌を見せないから、何を駆使してもつかまえられないから、信じるとか疑うとかさえもできないのだ。
自我は真の観察者ではないから、その自我をもって真の観察者を見つけようとしても無駄な努力だ。
究極の観察者とは、無限ゼロ、中庸ゼロ、空であり、【すでにもう宇宙の無限を観察しきってしまった者】なのだから。
一瞬で観察しきってしまったということは、この宇宙空間には一瞬で全ての「時」が存在してしまったということだが、それが物理的混沌だ。
無限を一瞬で物理化しようとすると、現実のカタチは全く無くなるからね。
だから、混沌から順次「時」という3D現実を取り出すしかなく、取り出して各自に与えて体験させるのだ。そして科学者たちの中にはこのことをしっかり理解している者がいる』ということでした。(皆様も、御自身で考えてみて下さいますか。)
今にして思い返せば、一冊目の「空」を書かせて頂いた時、参考にさせて頂いた量子物理学のCDの中で、そういうことを言われていたような気がします。
「量子の動きは、学者が中立に痕跡を追うだけで精一杯。量子の動きは無限にあるから、追うことしかできない。法則化できない」と。
お金のセミナーでは、このお話をていねいにさせて頂きます。量子の動きが現実を作るモトですから。
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(さらにメッセージは続きました。)
一理はそうだが 全てと言えず
真の理(ことわり)忘るるな
二極の模様は 目くらまし
さらなる背後に 無限あり
さらなる背後に 御中主(みなかぬし)
ゆめゆめ忘るることなかれ
※御中主は、宇宙根源の中庸神
このメッセージが伝えているのは、陽にばかり、あるいは陰にばかり目を向けると、陰陽の輪廻に入ってしまうということです。たとえば、お金持ちになりたいと陽にばかり意識が傾くなら、それは意識が陰(貧困)に片寄っているからなのです。陰にいるからこそ陽を恋い慕う。
そして、頑張って努力して陽(お金持ち)の現実に行けば行くほどに、今度は陰がみょうに気になって意識がそこへ向かうのです。そしてまたしても意識が向いた陰の現実をむかえます。
陰きわまって陽になるし、陽きわまって陰になり、そのブレるパターンから出られません。
このように、陰陽どちらかに意識を向ける限り、プラス・マイナスの「水平横滑り」の動きから出られず、その奥にある(陰陽を超えた)中庸無限の繁栄に入れません。
※ところで、脳下垂体ですが、「第三の目」に関係していますので、やはり両眼を超えた中庸な目で「偏見なく見る」ことが脳下垂体を活性化させます。
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