もらうことばかり考える
「A子さんは、肉体を消し、肉体ごとテレポテーションする人物で、次元を往来し、時空を旅する人物・・・」
こういう表現を見たり聞いたりするとき、あなたはどんな感覚になりますでしょうか?
「す、すごい!」って崇拝してしまいますか?興味を持ちますか?
こういうことは別に普通に可能なことです。頭が柔らかく、色々な考え方を受け容れることができる人なら、意識すれば誰でもできるのです。奇跡でもなんでもないのです。
そして、それが個人的に出来たからといって、人類が全体調和して発展することとは何も関係がないわけで・・・。だから、必要以上にA子さんを崇拝しなくてもいいのです。
「目の前に広がる、たったひとつの物理次元しか存在していない」と信じている人にとっては、A子さんは神のように思えるかもしれない。でも、それは重要なことではありません。
私もA子さんのような状態を、実際にやったことが数回ありますし、ブログ読者の方や受講生の方の中にも経験した方が少なからずおられます。
そして実際に経験してみて分かったことですが、生きるうえでそんなに大切なことだとは思えなかったので、私自身はそれ以降は全く意図しません。
A子さんのような体験は、意識が自由であれば可能だということですが、そもそも、テレポートの意味合いが大きく誤解されていますし。(この件は、また機会がありましたら書かせて頂きます)
各自が愛や喜びの道における「具体的プロセス」に入っている場合は、次元間の頻繁なテレポートはする必要がありません。
具体的な実行プロセスに入る前の、目標や結果を個人が選択する場合のみ、次元間のテレポートは意味があります。こういうお話は言語化がむつかしいです・・・。
(閑話休題)・・・ここからは、ある人とシンクロする内容になってしまうのですが、書こうと思います。
与えられるだけの「ワクワクと楽しさ」は、何かをもらうという条件付きの刹那のオーガズム(山頂のオーガズム)です。
逆に、何かをもらうことを必要としない無条件のオーガズム(谷間のオーガズム)は、深いところから自然に押しあげられ、押し出される「自然なエクスタシー」です。
山頂のオーガズムの旅は、「見捨てられ感」を感じたくなくて、「与えられることばかりを望み続ける旅」です。
谷間のオーガズムの旅は、神や大自然と共に融合し、調和一体化し、愛と喜びがあふれてやまないことを動機として、「愛を放出し、提供し続ける旅」です。
古代ローマ帝国の支配層たちは人民を支配するために、つねに娯楽をあたえつづけることに腐心したという。パン(食べていけること)と、サーカス(娯楽・快楽)です。
このコントロール」支配に意識をつながれて、大衆はますます食べていける保証を欲しがり、娯楽・快楽をもらいたがるようになっていく。
民衆は与えられることだけに関心があるから…。
もし与えていたとしても、実は与えられるための取り引きでしかない。次に何をもらえるのかだけを期待し続けている。愛や喜びさえ、他からもらおうとしている。
パンとサーカスを与えづけることで、大衆の意識は眠り、自立しなくなり、支配コントロールが盤石になっていくことを支配者は知っています。
民衆の与えてもらうことの欲望に期待にこたえつづけなければ民衆の不満は高まり、支配帝国の統治は終わってしまうから…。
支配コントロールとは、ゆがんだエゴの「片寄った男性性」(支配原理)意識の典型。
そこには、完全に受け身で依存しきった「片寄った女性性」(奴隷原理)を必要とする。
大衆を常に「衣食住」において楽しくワクワクさせてさえいれば、あるいは恐怖によって自由意志を発揮させないようにし、依存従属させておけば思うままにコントロールできる。この図式はいまでも世の中で見事に続けられているのです。
大衆が、オリジナルな創造性としての、純粋な個としての「自立」を拒否し続けてくれるなら、つねに支配層だけが美味しい汁を吸い続けます。
そして大衆のほうは、常に「足りなく」なってしまうのです。
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