緩 慢 な 自 殺
かなり幼少の頃から、私は大人や世の中をナメていました(笑)。
本当の意味での 「賢い大人」 がさほど存在していないと感じていましたから。
そして、何よりも、自分の 「以前の人生」 を強烈に覚えていた為に、自分自身が人生をただ生きて、そのまま死ぬことに対して、最初からすでに絶望しており、幼少期からすでに自殺願望があったのです。
何回も生まれかわり、何回も肉体を変え、それでも何か 【非常に大切なこと】 をつかみきれなかった感覚を鮮明に覚えており、その「つかみきれない何か」を得られない人生が、どれほど苦しいかを覚えていたのです。
前の人生の断末魔、「ああ!今回もダメだった!つかみきれなかった! 」という断腸の思いで、全く望んでもいない死を、私はただ無力な思いで迎えるしかなかった。
あの鮮明な悔しい記憶を振り払うことなどできるはずがありません。
非常に大切な、つかみきれない何か・・・、それが昨日書いた「原初の傷」 のことだったとは!
創造の源である 「無限の意識」から、常に常に肉体へ送りこまれる「愛と叡智」のいのち、その「連結」 を忘却した傷のことだったとは!
無限の意識からは、無限のいのちが与えられ続け、そのおかげで、【無限に存続可能な肉体】であったことを忘れたゆえの深い傷だったとは!
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人は、「どうせ死ぬ」 という諦めの思いから、深い部分から心底イキイキできないから (身も心も充分に幸せだと感じないから)、だから代替として、うわべだけの偽の幸せに走るしかない。
無限の愛の状態でないから、宗教、仕事、競争、使命やミッションに、やたらと突っ走る。
権力、名声、恋愛、業績、達成、有名、持ち金、あるいは、せいぜい立派な人格者になるか、愛される人物になるくらいのことに人生を費やす。そのために、占いや霊能にも頼る。
自らが信じこんでしまった「死なねばならぬ」というDNAプログラムを直視せず、その思い込みから目をそむけて逃げたいがために、何かの目的に突っ走るわけです。
あまり賢くない大人たちから教わるのですが、人生とは、誕生した瞬間からイヤでも死へと続く 「一本の水平線」 であり、だから、せめてタラタラとした水平線にするのではなく、できるかぎり山(頂上)を創るような人生のラインにしろと教わる。
ところが、人生の時間とは「水平線」ではなく、「垂直」なのです。生とは垂直な発展的な動きであり、「進化進行」していく動きなのです。
だから「時間」とは、いのちの「進化発展の様子」をあらわす記号ということです。
創造の根源(意識)から、いついつまでも肉体を生かそう活かそうとする意志が働くのは、ただ単に肉体を長生きさせる為ではなく、垂直に生かして進化上昇させていくためです。垂直的な長生き=進化上昇です。
人が心底イキイキできないのは、【一本の水平線の上で生きて、やがて死なねばならない!】 と本気で信じているから。
最初から「生死の選択の自由が全く自分には無い」と思い込んでいるわけだから、心底イキイキできるはずがない。
深いところでイキイキと生が躍動して循環しないなら、やはり病気にもなるし、自殺したくなるし、老化もする。
だから、せめて「水平線」の上で生きているうちに、エゴイスティックな快楽を思いっきり得たいと思うのは当然のことなのです。
その意味では、「全体に貢献する気持ち」など、湧かない人がいても当たり前のことで、そこを責めなくてよいのです。
たとえ、病気にならないとしても、健康にポックリと死ぬとしても、急激な自殺は避けるとしても、「水平線上」を人は緩慢に死んでいくことに変わりはないわけです。これは「緩慢な自殺」をしているのと変わりないということです。
それなのに、世の中では、急激な死 (一般的な自殺) だけを良くないこととして禁止するという矛盾・・・。
(続く)
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