介入 vs 愛の支援
人は皆、「良かれ」と思って相手に【介入】することがあります。
「良かれ」という思いからであれば、それは愛だと信じているからです。でも、愛は中庸ですので、良かれという思いは愛エネルギーとは少し違うのです。
非常に微妙なエネルギーの差なのですが、どんなに善意からであっても、介入はコントロールということです。悪意での操作と違って気付きにくいため、なおいっそう巧妙な操作ともいえます。
相手の自立と自主性を奪い、自信を喪失させ、依存させっぱなしになっていきます。相手の自由意志と尊厳を奪うことになるのです。
そして、全てを自分以外の人のせいにするような、責任転嫁の人格にさせてしまいます。
もちろん、相手が無意識にまだ自立したくない人の場合や、誰かに助けてもらいたがるクセの人の場合、こちらに対して、エネルギー的に介入させるように仕向けてしまうこともあります。この場合、双方とも無意識で気付いていないことが多いわけです。
責任はお互い様です。ついつい介入させられてしまう側も、ある意味で相手から操作されたわけです。
でも、そういう自分の体験があればこそ、気付きと学びが深まっていくわけですから、決して自他を責める必要はありませんし、介入の体験が悪いと言っているわけではないことをご理解下さい。
ここで誤解しないで頂きたいのは、あくまでも【エネルギー】のお話しということです。
相手のスペースに進入し、自由スペースを犯し、相手の思索や自由選択の領域まで介入するような【波動】、強く押し付けるようなエネルギーは、決して愛ではないということです。ですから、アドバイスしてはいけないとか、一切の忠告をするなとか、そういうことではありません。
●「イヤなものは、イヤなのじゃ!」(のぼうの城より)
これらの言葉からは、介入の波動は感じないのです(笑)。
「~すればいいのに!」とか、「~だけを信じなさい」とか、「~しか、ベストな技法はない」とか、「これだけが唯一の方法」とかいう言葉や表現などから、いかなるエネルギーを感じるかということです。
支援をすること、貢献すること、それは相手に介入することではありません。こちらの支援やサポートを、相手に自発的に選択させるスペースを与えてあげなければ、エゴイスティックなエネルギー操作になります。
私もできるかぎり、全ての方々との関係性において、お互いの自発的な意志や、自主的なコミットメントを尊重できるような間柄でありたいと願っています。
私自身も、限りない喜びと深い情熱の思いを土台に、自由に楽しく発信をし、得意で大好きな内容を講座として実施させて頂いています。
中庸の愛は、介入のエネルギーを発することなく、ただ湧き上がる愛を充分にこの世に表現し、それを実践し、発信するだけのことなのです。
自分が必要とされる瞬間のためにいつでもスタンバイOKで、全てに対して大きく開いて、情熱的に待ち受けしている状態が愛(=支援・貢献)なのではないでしょうか。
お互いが真に【支援】する関係性になるために、積極的に全てを体験し、自発的に生き、学ぶ必要があるものは学びながら、愛の存在になっていきましょう。
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