自分は何者か?とは、【状態】のこと
【自分は何者か?】・・・その答えは原点の【状態】や質のことです。源の【状態】や質のことです。それがゼロポイントです。それは頭で考えるようなものではありません。何者か?などと頭を駆使して考える作業ではないのです。そして、何者かを目指して頑張る努力のことでもありません。(そういうことは【自我】がやりがちなパターンですが)
【自分は何者か】・・・いのち全体の集合である【源】の中に合一し、一体化し、溶けこむことなのです。特定の自我が完全に消滅することなのです。【混沌中庸】となることです。それによって[本当の自分の質や状態]がどういうものなのか、つまり【何者なのか】が自ずと感覚で分かって知ることができます。もちろん欲求も自ずと分かります。【混沌中庸】を知ることを覚醒といいます。一切の自我が完全に溶けて消えています。
全体ひとつ、全一、それが【源】の状態であり、いっさい分断されていない【全体いのち】という状態が【自分】の基本です。そこに戻れば、自動的に勝手に【いのち】の欲求が沸き上がってきます。
頭を駆使して、特殊な個人を作ろうなどと画策しないこと。頭を駆使して、特殊な理想ゴールだけを目指さないこと。目指して頑張ることをやめて下さい。【源】の【まことの理想】が自動的に訪れるし、湧き上がるから!
ただ普通にくつろいで、普通に【受け入れ】の状態であれば、いのちの理想やいのちの欲求が自動的に訪れるのです。それを目指して狩りに行かなくていい。目覚めた状態で、くつろいで待てばいい。
事前に『これだけが自分の理想』と限定しなくていい。但し、大局的には【全体繁栄に真心を尽くす】ということだけは同じですが。
これからのNEW世界では、【全体】がもれなく至福になっていきます。
今までのように『これが自分の欲求!』と執着すると、【全体いのち】である【まことの自分】の欲求が感じにくくなります。もしかしたら、これが自分の欲求だと信じていたものは、それは別の肉体に行くべき欲求かもしれないのですから。
なぜ「この欲求しかない!」と決めつける必要があるでしょう?本当はどんな欲求が湧いてきてもいいはずだと思いません?どうせ喜びと共に欲求は湧くのだから。頭の予測と違ってもOKなのです。
願いが叶わないと感じた場合は、①頭の欲であって、【いのち】の欲求ではなかった、②あるいはタイミング待ち、あるいは、③もともと受け取る許可が低かったか、このいずれかでしょう。
今ここというリアルな瞬間、この瞬間の欲求は、頭が握っている欲求とは異なっていたりします。
ですから、今ここを感じ、【いのち】を感じていて下さい。
いずれにせよ、個人が特定の価値観や理想だけを握り締めることなく、毎瞬、流動的であって下さい。
安らいで、くつろいで過ごして下さい。
まことの自分である【いのち】がもたらす欲求の感覚は、とてもナチュラルです。緊張して頑張る感じではなく、ナチュラルでありながら、なぜか勇猛心が湧き、そうせずにはいられないほど勝手にやる気が湧いてきます。
これを【創造性】というのです。(むすびです)これが【神の発動】です。
【創造性】は【いのち】だけが持つ本質です。[頭](個人自我)にはせいぜい[想像]しかできません。
個としての自分が何かを成すのでもないし、何かを創造するわけでもありません!
【いのち】が自ら躍動して【現実創造】を成すのです!
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