アイなき末路
これからの新時代は、
「魂のご縁」で動く時代となり、
「血縁」や「家族」や「人情」では
動かなくなります。
……………………….
先に少しだけ
神界のお話から・・・。
神界と現実界は
陰陽一対です。
意識とカラダが
一対であるように・・・。
ですから、ブログでも
神界のお話を省くことはできないのです。
過去、創造主の弥栄の意志に
心から喜んで関与しようとした神々は、
以前の神界(高天原)でも
1%くらいだったのです。
(少なッ!)
あとは皆
「まがつ神」でした。
そして、まともなアイの神々が
高天原の表舞台からは追い出された。これはすでに書いてきた通りです。
ただ、私自身、過去の神界を
「まがつ神」が統率していたとはどうしても思えない部分もあり、
ある方に
思い切って尋ねてみました。
「過去、私が参拝した時に触れた神々は、
とても清々しく感じられ、まがつ神には思えなかったのですが」と・・・。
すると、その方いわく
「どんなに神聖な氣がする神であっても、
【みはしら】はあった?どうでしたか?」と言われました。
そこで全てが
腑に落ちました。
私が感覚的につながった「今までの神々」には
【みはしら】は全く観じられませんでした。
私自身、神々の【みはしら】のことなど
いちいち考えたこともありませんでしたし、
聖域に祀られている神々と聞くだけで、
何もかも盲信してしまっていたからです。
それでもその聖域で
清々しさを感じられたのは、
そこにあった樹木、植物、水の流れや、
土地そのものが放つ「自然界の氣」のおかげだったのだと納得がいきました。
神々の「みはしら」は、
私たちの光の柱に相当し、
最奥の高次神界へと繋がる
大切な「氣のルート」です。
それが以前の神々に
感じられなかったということは、かれらは
創造主の天意から
完全にズレていた神々だったということです。
しかも「みはしら」がナイ神々は、
それ以上は霊格も上がりません。
このことは、地上に降りた神々である
「私たち」にも当てはまるのです。
私たちも、
天の「みはしら」に接続するには、
嬉し嬉しの「光の柱」が
イキイキと立っていないと無理ですよね。
そして、本物の「嬉し嬉しの感覚」が
分からない方が多いようですので、
ここであらためて
真実をお伝えしようと思います。
「嬉し嬉し」という表現に関して
勘違いをされているのかもしれません。
「嬉し嬉し」とは、はしゃぐことでもなく、
単なる浮ついたバカ喜びのことではありません。
能天気なお祭り騒ぎのような
歓喜でもありません。
それは
「感謝の深み」
のことなのです。
日常生活において、
どれほどのありがたみを認識しておられますか?
特に、創造主から授かっている超大切なものに
感謝の実感はありますか?
私たちは「創造主の命」を
一条の流れとして授かっているからこそ、
今ここに無事に
生きていられるのです。
お金だけあっても
こうはいかないのです!!
創造主のバイブレーション(一音・一霊)を今も授かり、
創造主の霊力そのものとしての呼吸(第一次呼吸)を
今もずっと
授かっています。
それを本当に自覚し、大切にし、
アイに使っていますか?
最も大切な「天からのプレゼント」に対して、
どれほどの「ありがたみ」を実感しているのか、
「嬉し嬉しの感覚」は
そこに比例します。
つまり、嬉し嬉しの感覚は、
「感謝の深み」から湧くのです。
そして、「感謝の深み」が、
魂のレベルをあらわします。
悟りの段階をあらわし、
霊格の高さをあらわすのです。
天からのプレゼントを
自分の不満・不足・文句に使っていませんか?
文句がある人は、
必ず顔が硬いし、
カラダも硬いのです。
だったら硬さに向き合って、
癒していますか?
癒すべきものは放置せず、
今、癒すようにしましょう。
顔やカラダに、
一体どんな文句が隠れているのでしょう?
「暑いな~」
「いやだな~」という文句、
「なんだよアイツ」
という文句、
「なんだよ、この調子悪いカラダ」という文句、
「なんだよ、このお金の状態」という文句、
「私、こんなに頑張っているのに」
「こんなにやってあげているのに」という文句、
まだまだ他にも
ありますよね。
無意識とはいえ、
今までの生き様の多くは、文句だらけだったのでは?
そこに気づいたなら、
さっさと癒しましょう。
アイだけを実感するカラダでないから、
文句が生まれ、
「ありがたみ」への認識が欠けているから、
文句が生まれるのです。
ところで、「霊力」と聞くと、
皆様は何を思い浮かべますか?
何か特別な力だとか
サイキックな力だと思いがちですが、
究極の霊力は、
「創造主の命」そのもののことです。
命は物質的なものではなく、
光と呼んでもいいのですが、
正確に言うと、
バイブレーション(周波数)です。
創造主の命のバイブレーションは
最高レベルの霊力を持っています。
そして、私たちは創造主からの命を、
母親が受胎した頃からずっと授かっています。
私たちがまだ五体満足な胎児の形になる前の、
極小の長虫のような頃からです。
まだ内臓もありませんから、
肺呼吸もできない頃ですが、
創造主から授かっている命が、
私たちの呼吸となって躍動してくれていたのです。
私たちのカラダにとっては、
それが真っ最初の呼吸(初発の呼吸)ですから、第一次呼吸と呼んでいます。
それがやがては肺呼吸としても
使われるようになっていくのですが、肺呼吸のことは、第二次呼吸と呼びます。
目には見えない呼吸は、
創造主の命だったのであり、神氣・霊力そのものです。
初発の呼吸(創造主の命)は、
今もずっと私たちのカラダに授かり続けていますが、
それに対して
深い
感謝の心は
あるのでしょうか。
スピリチュアルを学ぶ方々でさえ、
創造主からの命が「我が命」となっていることや、
創造主の呼吸そのものが
「我が呼吸」となっていることを、
誰からも
教えてもらっていないのかもしれません。
過去、それを教えてもらった時から、
私は折に触れて、
「初発の呼吸をいつも与えて頂き、
本当にありがとうございます。アイの生き様として使わせて頂きます」
と、意宣る(いのる)
ようにしています。
今もずっと授かっている「創造主の呼吸」に
「自分自身の呼吸」を合わせていかないと、
創造主の霊力は出てきませんし、
逆に、自分のカラダと人生観に呪詛をかけることになります。
日常生活で
私たちが何をするにしても、
「創造主の
命の霊力を
使っているのだ」
という
ハッキリとした自覚があれば、
それをアイではないモノやコトに
使えるはずがないのです。
創造主の霊力なのだという
自覚が無いときに、
私たちは4次元の意識に
闇落ちしていきます。
「自分の命を、自分の好き勝手に使って何が悪い?」
という反発になるのですね。
そうやって、創造主のアイ以外を広げるから、
カラダを壊していくのです。
20代の人も、80代の人も、
動くジャンルは違えども、
いかなる時も、全体のために精一杯やること、
精一杯アイで奉仕すること、今の自分にとっての精一杯をやることです。
それは創造主の霊力を
使わせて頂いているからこそであり、
精一杯のアイは
どなたにも可能なことです。
あらためて、素晴らしい創造主の命(アイの霊力)を授かっていることに
感謝の思いが湧くならば、
アイをやり続けることが
「本当に幸せです」と言えるようになります。
アイをやり続けることが
日常の生き様になっていくと、
アイを続けられたことにも
霊力の導きがあったことが分かり、さらに「ありがたい」と思えるようになるのです。
何かをさせて頂いたことが、
すでにありがたいし、嬉しい。
何かをさせてもらったことが、
すでにありがたいし、嬉しい。
自分のことと同じくらいに
誰かを大切にできた、それが本当にありがたくて嬉しい。
私たちは、初めから
「創造主の命」である霊力を授かっていたのであり、
ただそれをアイから
使わせて頂くだけでよかったのです。
それが腑に落ちるにつれ、
ありがたくて、ありがたくて、
さらに嬉し嬉しの歓喜に満ちあふれて、
ひとりでに真の笑顔になるのです。
次回の更新予定は
9月22日(金)です。
ヒーリング・ラウンジStarHeart(スターハート)
〒464-0067 愛知県名古屋市千種区池下1-10-8
TEL : 052-761-4344
facebook : スターハートのfacebookはこちら