「やめる」という選択
■お知らせ(お詫び)
以前、ブログで告知しました1DAYセミナー(11月21日)は、
12月12日(日)に日延べさせて頂きます。タイトルは未定。
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ご自分が何らかの「選択」や「言動」をしている時、
それが防衛反応(守り)を土台にしたものかどうか、ちゃんと気づいていて下さい。
仕事であれ、
スピリチュアルな学びであれ、
今まで続けてきたものを「やめる」という選択をする時、
それは防衛(守り)からの選択でしょうか?
逆に、やることがベストな物事だと分かっているのに、
いつまでも逃げているならば、
それも防衛(守り)からの
選択ですか?
そして、その防衛とは
お金や時間に関する防衛ですか?
あるいは、防衛からではなく
「くだらない」という分析判断からですか?
ここで、気づいて頂きたいことがあります。
「くだらないもの」など宇宙には存在していません。
もし、
「くだらない」と思うなら
ご自分が「感謝」「祝福」を
怠ってきたからです。
今までご自分が関わってきた全てに対し、
いつも心底からの感謝を実感し続けていると、
その関わった対象から
「多大な恩恵」を得ることができます。
有形・無形のギフトを
授かります。
あなたが実感したことへの
レスポンスと言ってもいいです。
その恩恵を受け、
またさらに感謝を実感していく・・・。
この嬉しい循環が、
宇宙の巡りの法則(カルマ)です。
もし、あなたが、
今まで続けてきた何かを「やめる」時、
あるいは、やるべきことだと分かっていながら、
無意識に「逃げている」時、
その根底には
どんな考え方があるでしょうか?
「そんなもの、自分には役に立たない」とか
「あまり意味を感じない」とか、そういう発想(言い分)でしょうか?
つまり、個人的な
ジャッジでしょうか?
あらゆることに対しては、
真っ先に感謝があって当然のはずなのに、
感謝よりも「ああだ、こうだ」という個人的な言い分ばかりを
優先していませんでしたか?
自分の言い分を中心にして
「物事の選択」をやり続けていると、
色々な恩恵は
ドンドン遠ざかっていくばかり。
今まで続けてきたもの、お世話になってきたもの、
それらに対して一霊四魂としての感謝・祝福があれば、
「やめたいな」という発想には
ならないものです。
なぜなら、今まで関わってきた対象が、
あなたの感謝と祝福によってさらに素晴らしいものへと発展してしまうので、
全く
やめる氣が起きないわけです。
ご自分が感謝を実感していないと、
本当に素晴らしいものでも、それが分からないほどに感覚センサーが鈍感になっていきます。
鈍感なくせに、「天」「神々」に問いかけることもせず、
自分で勝手に見切りをつけてしまう・・・。
たとえ、百歩ゆずって、
その対象が本当に素晴らしいとはいえなくても、
いつもご自分が感謝をしていたなら、
自らが「やめる選択」をしなくても、
勝手に向こうから
より素晴らしい対象が自然にやってくるものです。
話は変わり、私事ですが、
かつてお世話になった「話道」の師匠の訃報が入りました。
私たちが誰かに話をする時、
切々と話すことも大事だけれど、
相手の話を「真心で聴く」ことがいかに大切か、
それを教えて下さった師です。
特に持病もなく、感染症でもなく、
事件性もないのに、出張先でいきなり・・・。
ご本人は、まだまだヤル気満々だったと思います。
自分が亡くなったことさえ、分からないかもしれません。
そして、この訃報を聞いて
あらためて私は「今ここに生かされている」ことに、深く深く感謝せざるを得ませんでした。
昔から心に刻んできたことがあります。
「やらずに後悔するよりも、やって後悔したほうがマシ」ということです。
この考えを他の方々に押し付ける氣は
毛頭ありませんが、
今世こそ、断末魔で後悔せぬよう
全体繫栄のために、喜んで生命を使っていきたいと思っています。
今日は、あまり筆が進みません。
申し訳ございません。
次回の更新予定は
11月5日(金)です。
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