立ち位置を「宣言」する!

| すぴりちゅあるブログ

 

今日は、内容が多岐にわたってしまい、
おそろしく長文になりました。

 

 

色々な段階の方々の意識を
一斉に受け取ってしまう感覚になり、一つに的を絞れず、長くなりましたが、

 

 

今、書かないと、タイミングがズレるだけなので
なんとかしようと努力しました。

 

 

瞑想会用の「特別ブログ」は、
来週(火)に日延べさせて頂くことをお許し下さい。

 


「お金の流通経路」に関するブログも、
しばらく日延べをお許し下さい。

 

……………………

 

 

静岡県の湯ヶ島に向かう途中、
新幹線の中でいきなりメッセージが来ました。

 

 

神界
なめるな!」と。

 

 

強烈な声として届きましたが
これは決して威圧とか脅しではなく、深いアイだと分かりました。

 

 

呼吸の奥深さ、そして、呼吸を授かっている素晴らしさ、
そんな呼吸が、「創造主」と「神界」からのアイの贈り物であることをご存知ですか?

 

 

宇宙の森羅万象をバランスさせ、
全ての生きとし生けるものが、お互いの才能を発揮しあうよう、喜んでサポートをしてくれている創造主の神界、

 

 

それに対して気づいていなかったり、
過小評価していないでしょうか?

 

 

「ちゃんと分かっているかな?アイの源をなめてもらっては困るぞ」
そんなニュアンスの「なめるな!」でした。

 

 

なので、自らが魂であることをもっとハッキリと意識していくと、
さらに創造の神界とのエネルギーの巡り(つながり)が良くなります。

 

 

ところで、体力とは何でしょうか?
一般的には、「筋力をつけることイコール、体力がつくことだ。高い生命力になることだ」と信じこまされています。

 

 

でも、全く違います。
たとえ、筋力をつけたところで、体力はつかないのです。

 

 

体力とは
呼吸の力
なのです!

 

 

ただし、途切れ途切れの
呼吸ではダメですが・・・。

 

 

師の経験からも、そして、
私自身の実体験からも断言できますが、

 

 

質のいい「呼吸」を途中で途切れさせることなく、
「連なる呼吸」にしていくと、確実に体質が変わります。若返ります。

 

 

つらなり
=つながり

 

 

私たちの呼吸は光ですが、
宇宙ビッグバンによって生じた「創造主の歓喜」そのものです。

 

 

そして、この歓喜の呼吸のことを
「コトダマ」と言うのです。

 


私たちは、呼吸という歓喜の光そのもので
成り立たせてもらっています!

 

 

もし、光の呼吸としての瞑想ができない時でも、
自分史上、最高レベルの心地よい呼吸を「連ねていく」と、

 

 

自分の内側(内宇宙)がゆとりある状態になり、
あなたが出会う現実世界が実際に変化します。

 

 

現代人は、無意識に
呼吸を止めてばかりです。

 

 

特に思考に集中していたり、
雑念や不安思考につかまっている時には、必ず息を止めています。

 

 

息を止めると、カラダが硬くなり、
その硬くなったところは、歓喜のアイではなくなります。

 

 

文字どおり、息を詰めると、人生も行き詰まります。
出会う世界も一向に変わらない。

 

 

たとえ、どうしても「大切なこと」を
考えなくてはならないときがあるとしても、

 

 

そんな時は、光の呼吸、あるいは、
普通に穏やかな優しい呼吸を、途切れさせず、なめらかに連ねたままで、思考してみて下さい。

 

 

呼吸を止めている間に「考えた内容」と、
穏やかな呼吸をしながら「考えた内容」とでは、大きく異なってきます。

 

 

何かを読むときも、ゆとりある呼吸を連ねながら、お読み下さい。
情報の入り方が全く違ってきます。

 

 

なめらかで、穏やかで、連なっている呼吸をし続けることは
魂にとっての大切な
基本的な仕事です。

 

 

そして、呼吸を通じて、
魂の本質である「感謝・アイ・祝福」を感じていかないならば、
やがて魂はさびていく。

 

 

宝の持ち腐れとなるのです。

 

 

今の私たちの魂は、
まだ少しさびているかもしれませんが

 

 

今後、常に、魂としての自分を意識していくと、
モトモトの輝きを放つようになります。

 

 

なぜ、多くの人は
普通の人間(=エゴ)でいようとするのでしょう?

 

 

なぜ、いつまでも平凡な自分(=エゴ)と
一体化していたいのでしょう?

 

 

それが伸びていきたい魂としての自分ではないと、
何故分からないのでしょう?

 

 

一体いつになったら
神魂100%としての【立ち位置】に戻るのでしょう?

 

 

もう、何万年もの長きにわたって
神々に待ってもらっていたのに、

 

 

「私なんて、まだまだ100%には、戻れない」と
迷うのでしょうか?

 

 

それがエゴの声です。
言いましたよね、エゴの罠は実に巧妙だと・・・。

 

 

私たちは、ただ、神魂の「立ち位置」を自らが宣言し、
素直に自覚を戻すだけのこと。

 

 

ただ、自らの中心としての「立ち位置」を
本質に戻す(直す)だけのこと。

 

 

そうでないなら、あなたは
自分の中の伸びていかない部分(エゴ)を救ってあげられないのだから!

 

 

「自分が何者か」という宣言・自覚・確信、
こればっかりは「自分自身」にしかできないことです。

 

 

神々でさえ、
あなたに代わって
「宣言する」ことは
できないのです。

 

 

繰り返しますが
「自分は大したことのない平凡な人間だ」という【無価値感】、

 

 

これはまさに「エゴの感覚」であり、
エゴの「宣言」ですが、

 

 

このエゴを癒すことなく、放置したまだから、
その感覚に取り込まれてしまうのです。

 

 

なぜ、放置したまま
救ってあげないのです?

 

 

ただ、こういった自己主張するエゴを浄化し、癒して、
アイに戻す(よみがえらせる)には、

 

 

ご本人の
【立ち位置】が
伸びやかな神魂でないと
不可能なのです。

 

 

あまりにも、今までが、
ご自分の「立ち位置」をエゴに置き過ぎていて、

 

 

何をやるにも「伸びやかな自分」からではなく、
単なる平凡な自分や、苦しい自分から行ってきた・・・。

 

 

修行のクセが抜けず、
自分を追い込みながら瞑想したり、浄化をしてきた。

 

 

だから、暗くて重たい感覚しか感じられなかったのですが、
そんなにエゴの感覚と共に居るのが好きですか?

 

 

これはもう、皆で共に国づくりを創造していきたい魂からすれば論外!
お話しにならないわけです。

 

 

なぜ、ず~っとエゴと一体化したまま、
伸びやかな呼吸の感覚から離れているのでしょう?

 

 

歓喜の神魂としての立ち位置を、
本気で【宣言】しないでい続けるならば、

 

 

「ああだ、こうだ」と、
個人的な状況を述べるだけで終わっていく。泣き言を言うだけで終わります。

 

 

これって、感傷的になっている自分に
酔いしれている状態です。これがエゴの好きなパターンです。

 

 

どうか、もう目を覚まして下さい。
それも完全に100%

 

 

自分の都合とか
えり好みとか、
神魂は持っていません。

 

 

あなたは、今後も無価値感に浸って、
「こんな状態の私ですし~(◞‸◟)」と【宣言】し続けますか?

 

 

天に向かって、誰かに向かって、
それをずっと言い続けますか?

 

 

そして、神界や魂のことなど自分には関係ないし、
そんなものを大事にする意味も分からないと言われますか?

 

 

神界
なめるな!

 

 

どんだけ~スゴイのかを全く分かっていない者が、
神界や魂をどうこう言っていいはずがないのですから。

 

 

ちゃんと素晴らしい真理を本気で知ろうとして下さい。
ちゃんと創造の真実に素直に取り組んで下さい。

 

 

本当に大事な秘めゴトを、少しずつお伝えしています。
それをもう明かしてもいいタイミングに来たから、そのために長期講座もやっているのですから。

 

 

もし、ご自分に
「魂の歓喜エネルギーに立ち返る素直さ」が足りないと思うのなら、

 

 

天に向かって「最高レベルの素直さを授けて下さい、そして、魂に戻るために使わせて下さい
と、サポートをお願いすればいいのでは?

 

 

いまだに多くの人が
いわゆる「普通の人」という意識のままです。

 

 

その上で、普通の人であることがイヤで、野心を燃やして自分を追い込み続けるか、
追い込むことに疲れて、もう平凡なままでいいと宣言するか、そんなところでしょう。

 

 

さらに、野心ではなく、スピリチュアルに目覚めようとして
この「普通の人」である自分が、

 

 

色々な傷の「癒し」をすれば、
きっと何とかなる(良くなる)と思っているようですが、

 

 

これまた、何ともなりません!!

 

 

「個人的な普通の人」という自覚を持ったままでは
何をやっても、癒しをやっても、うまくいかないのです。成功しません。

 

 

一生懸命に「個人である自分が」傷を癒しても、
【立ち位置】【ポジション】が個人を超えたからズレているなら、

 

 

エゴの傷を
アイに戻すことはできません。

 

 

かなりの昔に、必死の形相で7日間にわたって、
怒りの感情を溶かし続けるチャレンジをされた方が2名おられました。

 

 

でも、すぐにまた怒りが湧いたり、
腹が立つような出来事を創ってしまうのです。

 

 

その時、私はお二人から学ばせて頂いたのです。
個人的な自分が、エゴを癒そうと頑張っているだけで、

 


それは自分個人が楽になりたいだけであり

伸びやかな神魂としての「立ち位置」に居なかったからだと。

 

 

しかも、ご自分が楽になりたいだけだから
他者へのアイや思いやりなど、どっちでも良かったのです。

 

 

これがエゴの「立ち位置」です。

 

 

自分を追い込んでいき、まるで癒しをやっているかのような
「スピリチュアルな自分」を演じるだけで終わるのが、エゴなのです。

 

 

大事なことなので、
もう少しだけ書かせて頂きます。あと少しお付き合い下さい。

 

 

なぜ、私たちは、神である「魂」の立ち位置へと
完全回帰しなくてはならないのでしょうか?

 

 

その答えは、
それが自然で当然で
当たり前の「居場所」だから(笑)

 

 

私たちは創造する魂ですが、
創造の因は、「感覚」の世界にあります。

 

 

つまり、波動的な実感や感覚から
全ての創造がスタートします。

 

 

魂が所属している神界には
人間言語や個人的な主張や理論が無く、

 

 

澄み切った爽やかな
高い生命力(イキイキした波動)しか無いから、その感覚から創造していくのです。

 

 

今の皆様に
お尋ねしたいのですが、

 

 

今、とびっきり軽やかで
爽やかな感覚ですか?

 

 

あるいは
少し「重たい」感覚ですか?

 

 

それとも、日によって、あるいは出来事によって
軽くなったり、重くなったりですか?

 

 

もし、「常に」とびっきり軽くて爽やかでないなら、
申し上げにくいですが、あまり「癒し」が進んでいないということです。

 

 

それは、個人的な辛い自分という波動から「癒し」をしていたり、
苦しい感覚のままで、苦しい自分を「癒そう」としてきたからです。

 

 

重くて苦しい自分と一体化したままでは
いかなる癒しも不可能なので、

 

 

必ず、神の感覚・魂の感覚・アイの感覚に戻ってから
「癒し」をして下さい。

 

 

感情的な傷、罪悪感を
完全に癒すことが出来る力は、

 

 

奥戸の神々と横並びの「魂」だけに与えられた
特権です!!!

 

 

癒しとは、単に傷を消すことではなく、
生命力がバツグンに高まるまでいってこそ、癒しをしたと言えるのです。

 

 

病気が消えた、誰かを嫌いじゃなくなった、苦痛が弱まった、
それではまだまだ「癒し」とは言えません。

 


イキイキして、高い生命力がみちあふれ、全てへのアイが止まらず、

全体奉仕へのヤル気が充満している姿・・・

 

 

そこにまで至って初めて、
「自分を癒した」と言えるのです

 

 

何度でも言いますが、
苦しい自分(=エゴ)からは「癒し」ができません。

 

 

そして、発展するような
現実も創れません。

 

 

なぜかと言いますと、エゴは
「創造の源」「宇宙の中心のアイ」とつながっていないからです。

 

 

つながっていないので、栄える氣を授かれないから、
アイの実践(癒しとか)が出来ないのです。

 

 

色々な神氣を授かることが出来るのは、
魂だけであり、

 

 

魂の自覚が欠けているなら
そして、アイの実践をする氣がナイなら

 

 

何度、参拝しても、遠隔神儀で「氣結び」をしても、
そんな結びは幻に終わります。

 

 

次回の更新予定は
6月11日(金)です。

 

見落としがちな「浄化のポイント」があり
どなた様にも重要なので、しっかりと触れていきます。

 

 

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