死に至る病とは?
「死に至る病とは、絶望のことである」、
これはデンマークの哲学者キルケゴールの言葉です。
彼が言う「絶望」ですが、世間一般で言われるような
落ち込んでウツになっていることを言うのではありません。
絶望とは
【神を見失っている状態】
のことなのです。
ですから、「絶望」の対義語は
「希望」ではなく、神への【信頼】ということになります。
ただ、キルケゴールの残念なところは、
神と自分とを分離して考えており、
神人合一(アセンション)という
真理までには至っていません。
ここのところ「上」からは、
感謝や祝福以上に
「信頼」の波動であり続けることを
強くメッセージされています。
何が起ころうが、どんな現実が展開されようが、
何を喪失しようが、全てを失いつつあろうが、
揺るぎない「信頼」で
受け入れていくことの重要性です。
それはイザナミ神への
信頼でもあります。
何があっても、
感謝・祝福・信頼で行けばいいのです。
自我が創った不愉快な現実でさえ、
皆様自身が揺るぎない信頼の波動(神の波動)で受け入れたなら、
そこからは
「起死回生」が起こるのです。
拒否したり、抑圧したり、
自分が思う「良かれ」と思う方向に操作しようとすると、
ますます負のカルマから
出られなくなります。
自分に起こった「あらゆる状況」、
自分が体験した「あらゆる境遇」、
それらは全て愛から作られたという「視点」に立ち返るならば、
人生が劇的に好転していくのです。
「これは不幸なことだ」「これは良くないことだ」
というような「ものの見方」をしてしまうとき、
人間自我のカルマから
出ることができません。
創造の神々に対する「信頼の波動」からズレた時、
「ものの見方」さえもゆがんで、おかしくなってしまうのです。
屈折した見方と言いますか、
ふてくされた見方になるのです。
先日、「アマテラス神との氣結び」という
特別セミナーを実施させて頂きましたが、
その際、私も
「一参加者」として相当な覚悟をし、
「底抜けの明るさを二度と失わない」
「底抜けの明るさを一瞬たりとも忘れない」と、神楽殿にて決意させて頂きました。
そして、セミナーの翌日、
ある神社に呼ばれましたので、一人で参拝させて頂いたのですが、
その境内には
圧倒的な神氣が満ち満ちており、
神主さんがお祓いして整えたような
人工的な神聖さではなく、
根っからの純粋な「創造の神氣」が
おおいかぶさるように私を迎えてくれたのです。
鳥居をくぐった瞬間、
その強い圧を感じ、
思わず「勝てるはずがない!!」という言葉が
口をついて出ました。
「なんじゃ
こりゃあ~~!!」
という感覚だったのです。
勝てるはずがない・・・
その意味ですが、
私たちが神々をどんなに疑ったところで、
神々にとっては蚊がさしたくらいのことでしかなく、
絶対に弥栄を創造する神パワーには
「誰も勝てない」のだということです。悪魔さえも。
どんなに私が(全力で)神々や宇宙を疑おうが、
どんなに不信や不安をぶつけようが、
そんなものでは太刀打ちできないほどの
圧倒的な弥栄創造のパワーを見せつけられたのです。
これは本当に嬉しかったです。
そして、ラッキーでした。
こんなに強烈な弥栄波動は、
生まれて初めて味わいました。
ここまで神々から見せつけられたなら、
信頼しないほうがおかしいわけで・・・。
なんというすごさ、
なんという圧倒的な強大さ、
それに対する「畏怖の念」「感謝の念」が
自然に湧きました。
「神々の御業」を信じざるをえませんでしたし、
神々の本気の弥栄力に対して、
もう二度と有無を言えないほど、
私はノックアウトさせられてしまったのです。
じゃあ、その神社に参拝している他の方々が、
私と同じことを感じたかといえば、
「決してそうではない」と
神々から言われました。
参拝する側がいかに本気か、
つまり、弥栄創造に尽誠する心が100%本気なのか、
その純粋性に【感応道交】することで、
神々の本質が顕現されるからなのです。
こちらが本気なら、
向こうも本気の愛で向き合ってくれるのです。
どうぞ、神々の弥栄創造力を
もっともっと信頼なさって下さっていいと思います。
次回の更新予定は
10月23日(金)です。(オンライン瞑想会の日ですね)
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