「人間エゴ」が生じた究極の原因は
■「上」からは、強いGOサインが出ました。
封印されていた㊙情報を、少しずつ公開してまいります。
まだ本の執筆が本格的には開始できず、
色々な内容を精査している段階ですが、
そのおかげさまで、
少しずつ人間自我への
限りない感謝と慈しみが湧くようになりました。
今までは、自我のことを
どこか「厄介者」として扱いがちだったことに気が付き、
あらためて
深くお詫び致しました。
私たちは光の神魂として生み出され、
地上界を「弥栄な世界」にするべく、
カラダを持った神々として
地球に降臨したわけです。
でも、その時代において、共通の弥栄の意志に
反旗をひるがえす神たちが出てきました。
そして、仲間割れになり、
初めて神々の間で殺し合いが起こりました。
それが私たち神魂にとっての
「原初の傷」になったのです。
全一愛だった神魂たちが
分断の意識になり、強烈な孤立感と不信感が芽生えました。
カラダの殺し合いにまで至ったため、
お互いへの「怒り」と、殺してしまったことへの「罪悪感」によって、
その場に関わった神々全員の「細胞」は
変質低下してしまいました。
この瞬間から、神々のカラダは
永遠無限ではなくなったのです。
と同時に、罪悪感や怒りに包まれた「神魂」も、
本来のアッパレで晴れやかな光の輝きを無くして、どんよりと曇った魂になっていったのです。
この「原初の傷」以降、
永遠無限のカラダではなくなったわけですが、
その時点で「肉体死」というプログラムが
入力されたわけです。
古事記にも明確には書かれていない神代の時の話ですが、
単なる神話とかフィクションではなく、本当に私たちの神魂の歴史です。
肉体死のプログラムが入力されると、
永遠無限の生命力(創造DNA)に傷がつき、
それはそのまま
「自己破壊DNA」(死への衝動)に変質します。
そして、自己破壊DNAから
自分自身を守ろうとして、「防衛パターン」が生まれるのも自然の成り行きでした。
この防衛パターンが
人間自我の由来なのです。
つまり、自我イコール
防衛パターンです。
防衛パターンであるから、
常に緊張し、戦闘モードになっています。
生きることにピリピリしています。
常に感情興奮の状態にあり、ゆえにアドレナリン中毒になってしまうのです。
自我をつい悪者にしがちでしたが、
自我の由来や来歴を知るにつれ、
自我なりに一生懸命
今まで頑張ってきたのだと分かってきました。
自我を誤解していたことを
心から申し訳なく思います。
そして、肉体死のプログラムがある限り、
私たちが肉体死を信じ込む限り、
防衛パターンである自我は
その役割を終えることはできず、
「全ての自我」が
愛の光に戻ることは困難だと分かりました。
肉体死のプログラムがある限り、
防衛パターンは自動的に続きます。
むしろ、真っ先に「原初の傷」に向き合って、
その時の「罪悪感」と「怒り」が皆様の魂から昇華されない限り、
魂も曇ったままであり、
カラダも永遠無限のご神体には戻れません。
死のプログラムがあると、
無意識に「死への衝動」が湧きます。
結果的に、
「新しいもの」への好奇心が薄れます。
新しい出会い、さらなる新しい繫栄、新しい気付き、新しい未知、全てがどうでもよくなるのです。
死への衝動があるために、
日々を生きることにもウンザリし、
仕事にも家事にもウンザリし、
人との関係にもウンザリする。
このウンザリする反応から
「面倒くさい」という思いが生まれるのです。
それから、死のプログラムによって、
しょっちゅう「死んでしまいたい」という重苦しい気分が湧きます。
その結果、やたらと
「淋しい」という孤立した感情も湧きます。
多くの方が錯覚していることですが、
例えば、家族を亡くしたり(失くしたり)、友人を亡くしたり(失くしたり)、
大切な人を亡くした(失くした)場合、
「なくしたことが原因で、淋しくなったり、後追い死をしたくなるのだ」と思い込んでいます。
でも、これは
原因と結果が
逆なのです。
そのような離別の出来事が起こる前に、
すでにご本人の中に、「死んでしまいたい」という衝動がスタンバイしており、
「とても淋しい」「孤独だ」がスタンバイしているのです。
そして出番を待っています。
ですから、肉体死のプログラムがある限り、
ご本人のあらゆる時や場を通じて、
死への衝動が湧くような
「実際の出来事」を創ってしまうということです。
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