「知る」とは何か?
なぜ生きる?
→弥栄発展(共に栄える世)を現実創造し、ちゃんと観察したい(体験したい)ため
なぜ(創造して)観察したい?
→創造主としての自己を「知りたい」から
なぜ、創造主(自己)を知りたい?
→自分をこよなく「愛している」から
では「愛」とは何か?
ソレを知りたいという衝動
つまり、「ソレそのものになりたい」という衝動であり
ソレと一体化したい衝動。
(本題へ・・)
知るとは何か?
外側から観察しているだけでは、本当に知ることは出来ないし、
ましてや知識だけを得ても
それを「知った」とは言えません。
本当に、充分に、
余すところなく「知る」には、
「ソレそのものになりきる」
ことでしか不可能です。
子供の頃は、
「肉体」「感情体」を知ろうとする。
だから肉体そのものになりきり、歩いたり、走ったりを経験する。
感情そのものにもなりきる。(肉体、感情と同一化する)
大人になると
思考体(メンタル体・マインド体)を知ろうとする。
だから思考そのもの、
観念・知識そのものになりきる。(思考・観念・知識と同一化する)
「肉体・感情体・思考体」という
3つの低次ボディ(人間自我の体)を知ってしまうと、
ここで「知ること」を終了してしまう人が
ほとんどです。
その先(スピリチュアル体)を
本格的に知ろうとはしない。
スピリチュアル体、
そこには神聖幾何学のカタチをとった「弥栄発展システム」が
ちゃんと
はなからセットされているのです。(画像参照)
「知る」の最後には、
最高の未知が残っています。
創造主のスピリチュアル体は、
まさに創造主のカラダ(御神体)であり、光のカラダです。
この「スピリチュアル体・システム」を知ろうとする人が
出てくるのです。
まさに前人未踏の領域を
知ろうとするのです。
かつて、あなたが
思考や感情と同一化しまくって、人間自我になりきったように、
創造主(神魂)の「スピリチュアル体=御神体」を
ちゃんと知るためには、
とにかく創造主(神魂)に
なりきるしかない。
【御神体システムそのもの】に
なりきるしかない。御神体(光の体)に同一化するしかない。(ワクワクしません?)
それとも、「自我の体を知る」段階までで
人生での「知ること」を終えますか?
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