縁起

| すぴりちゅあるブログ

 

ご本人から直接お聞きしたわけではないので、
明言は避けたいところですが、

 

縁起」を発見したのは
釈尊だと言われています。

 

縁起」は、
自分を対象とした「観察」において発見されたものです。

 

では、人型生命体における「縁起」とは
どういうことなのでしょうか?

 

刺激(条件)()を受けると、
そのたびにカラダという領域において

 

様々な反応」が次々と
ドミノ倒しのように連鎖してこります。


これが「縁起」です。

 

そして、私という自己意識、
つまり個人的に「私が・・・」と意識する反応は、

 

ドミノ倒しの
一番あとに起こる
わけです。

 

これをまとめれば、


【私】とは、その都度その都度の縁によって起こされる、一貫性のない反応断続であって、
持続的実体的な存在ではない
」ということになります。

 

「その都度の一貫性のない断続」のことを
無常」と言います。

 

様々な刺激(条件)、
つまり「」に触れて「こされる」から「縁起」、

 

そういう色々な反応を
十把一絡げ(じゅっぱひとからげ)にまとめて、最後に後付けで

 

【私】という
妄想ラベルが貼られるのです。

 

まるで、【私】という妄想ラベル(おふだ)を
貼られたキョンシーです。


その都度の

妄想ラベルに過ぎない【私】が、

 

あたかも「一貫して実在する」かのように思い込み、
それに執着してしまいます。

 

その結果、【私】という「反応」は、
たいていは執着の反応になっています。

 

これが「」を
生むのです。

 

持続的な【私】
などというものは妄想であり、

 

つまり無常・無我であるし、
縁起」の反応に過ぎないのです。

 

もし、妄想ではない「私」がいるとすれば、
それは「縁起」を超越した「観察意識」だけなのです。

 

この「縁起」の「反応」を最小限にして、
しっかり観察することを、


仏教用語では

」と言います。

 

「定」の状態を保ちながら
【私】という反応が「」を生み出していないか、

 

それをいつも意識して、「」を作らぬような精進のことを、
仏教用語で「」と言います。

 

」によって、【私】という反応は
徐々に落ち着きを取り戻し(=みたましずめ)、

 

ブレずに観察できるような
意識状態へと近づいていきます。

 

」は、
より高度な精進のための下準備にもなります。

 

ところが、目覚めていない者は、
個人的な目先の執着不安・不満・不足・怒りなどの感情に踊らされて、

 

自分を
客観的に観察できないのです。

 

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