全一からの「独り」
ごくシンプルに、「中立」とは何かと問うと、
「真中に立つ」の答えとなる。
それが「創造の意識」の立ち位置だし、
【神魂】の住処(すみか)です。
「中立」に居ない自我には、
片寄り&偏見しかないから、
そんな自我ポイントから何を観察しても
真理は分からず、
ただ感情的にアップダウンを繰り返すだけとなる。
深淵な気付きなど
起きるわけがない。ましてや感謝など湧くはずもない。
目に見えないものを
本当に信頼して
観ようとしないからです。
実は、「自我を中心とする意識」と
「中立を中心とする意識」とは、
薄皮一枚も
離れていない!
なのに、何をそんなに
四苦八苦される必要があるだろう?
ただ迷いなく
普通に覚悟するだけのこと。
いかなる自分をも
観察して気付いている、そんな「意識」になっていればいいだけの話。
たとえ、全一な
澄みきった状態に溶けてしまったとしても、
そこは単に
「深化・進化・新化」を意図するポイントでしかない。
ですから、「覚醒した」「全一に溶けた」「ゼロになった」と
慢心したり、有頂天になっている場合ではないわけです。
→そのことでは、かつて私も
「上」からよくお𠮟りを受けました。
自他一体の境地になり、全てを愛して
意識が全一に溶けたなら、ようやく「独りの未知」へと進める。
全一になって初めて
ようやく「カラダでの実践」のスタート地点に立てたのだから・・・。
そして全一(中立)は、
常に常に
いつも新しいスタートです・・・。
………………………….
創造し観察する意識(神魂)には
大きく分けて4つの神作用(働き)があります。
その中でも
誤解されがちなのが「荒魂」(あらみたま)です。
この物理次元は
あらゆる二極の「大調和」から成り立っていますが、
それを理解できずに、
誰かや何かに対して「敵対」する心が少しでも自分にあるなら、
相変わらず「中立」ではなく、
自我を中心に生きている証拠です・・・。
どんなに個人的に「気に入らないモノコト」であっても、
これを歓迎し、自分の内なる意識(全一愛の和魂)に融合させていくパワフルさ(タフさ)が必要で、
この強烈な
タフさが
「荒魂」の神力です。
二極双方を歓迎して調和させ、
この世に弥栄を「あらわす魂」だから、その「あらみたま」でもある。
ただし、強くて勇猛果敢なところだけにスポットを当てて、
「全一愛」から外れてしまうと、
逆に
「敵対する」ことを強めるはめになります。
「あらみたま」も、
虚空からすでに頂いている「真の神通力」なので、
「内なる中心」に「受け火」して頂き、
現実に向けて放出して下さい。
「あらみたま」は、
「空なる無音」(いのちの音)をこの世に「あらわす」働きでもあります。
ですから、
あなたが「言葉」を発する場合でも、
「個人的なコト」を超越して、
「全体に通じるコト」を【あらわす音】でなければ、真の言葉(コトタマ)とは言えません。
要は、「感謝・祝福の音波」で
発音するのが本当です。
「荒魂」などの色々な神通力(「命火」の働き)が湧き出す「内なる中心」のことを、
「天の真名井」とも申しますが、
あなたの真名井から湧き出す「命水」は、
不死の水(永遠の甘露)(アムリタ)と呼ばれています。
ただし、この「命水」を
各自それぞれが(内なる真名井から)「あふれ出させる」ことがなければ、
自分自身もまた
飲むことができません。
「命水」をあふれ出させるとは
一体どういうことか?
「心の汗水」
「カラダの汗水」を
かくことです。
一生懸命に「真心の汗」をかきなさい・・・
ということです。
心とカラダと
両方の側面で汗をかかないようなら、片寄りでしかなく、全一に溶けた神魂の御業(みわざ)ではありません。
人が、泥臭いとか面倒だと思うようなことを、
いかに涼やかに実行するか・・・です。
奴隷の心ではなく、
王の心で
行うのです。
神々(神魂)は永遠無限であり、
長さ・重さ・広さなども無く、
それだからこそ、神の作用の全体全てが
丸ごとそのまま「一人」の中に降りて(宿って)湧き出すことができるのです。
弥栄とは、ただ単に
変化して進化繁栄することだけを指すのではなく、
【超越的な無限の命水】【無限の神々】が
私たちそれぞれの真名井に舞い降りることを申すのです。
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