かしこみ(か・しこみ)
あくまでも「見えないエネルギー」が「見える現実」を創っています。
その逆はありません。
あなたの中の、内なる見えないものが「原因」で、
それが見える「結果」となって外へ出てきます。
一般世間では普通、
何らかの結果がちゃんと見えてから、ようやく「喜ぶ」と思いませんか?
たとえば、田んぼの稲穂がたわわに実ったのを見て初めて、
やっと「豊作だあ♪」と喜ぶような感じです。
個人的に都合のいい結果が出るまでは、
まるで喜んではいけないかのよう・・・・。
稲穂がその命を目一杯輝かせて生きているなどということには、
ほぼ興味がないのでしょうね。どこまでも、見える結果ばかりが気になっています。
結果で喜ぶような人が、たとえ豊作という成果を得ても、
その喜びは真の喜びなんかじゃなく、ただの条件つきの興奮でしかありません。
自然な真の喜びには
条件がないのです。
私たちの中に
生まれつき備わっている真の喜び・・・、
それは「命の喜び・命の輝き」のことです。
命そのものが
「喜び」なのです。
私たちが、この生来の喜びを輝かせて生きているとき、つまり、
いつでも、どこでも、
何をしていても、
全力で喜んでいるなら、
その見えない喜びのエネルギーが、私たちの現実を創っていきます。
つまり、はじめから喜びが輝いていれば、
いつだって喜ばしい現実になるということです。
私たちの内側にすでにある「生きている喜び」を広げ、さらにふくらませていくならば、
あらゆる全てが喜ばしいものに変容します。
稲穂が豊作にならない限りは喜びを輝かせず、それどころか不安がったりするならば、
そういう不自然なエネルギーによる不自然な結果が創られます。
豊作だの、凶作だの、そんな結果が出るずっと前から、
稲や種の前途を喜び、祝福し、共に生きていることを喜びあうことが先であり、常であるべきです。
そしてそれらに対して
「栄えあれ」という愛をふくらませていくことが先なのです。常であるべきなのです。
祝詞の中に「かしこみ」という言葉が出てきます。
「かしこみ、かしこみ、もの申す~」というアレです。
「かしこみ」を標準語にすると、「かしこまって」という言葉になり、
「恐れ多くも敬意を示したい気持ち」を意味します。
ですが、そのもっと奥に
普遍的で基本的な意味が含まれていたのです。
生きる喜びの「かがやき」、
その「かがやき」の「仕込み」のことを、「かしこみ」と言います。
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(また余談です・・・)
ベラルーシのある村で、氷が張った湖の上を歩くガチョウたちのことが
ニュースになっていました。
中には、すべって歩けないガチョウがいます。
氷結したところを進むのは大変です。
もし、氷結していない「水の流れ」に乗っかって泳いで行くなら、
ガチョウたちにとって無駄な苦労はいらないのです。
私たちもこれと同じです。
命の水(愛の水)が氷結せずに流れていれば、進みゆくことは楽です。
ところが、自我という氷結を土台(ジャンプ台)にして
先へ進もうとするなら、すべるばかりで苦労は多く、実りは少ない。
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