真名と仮名

| すぴりちゅあるブログ

 

真名(マナ)も
仮名(カナ)も、
古事記に出てくる表現ですが、
海外のハワイにも、マナという表現があり、
ほぼ同じ意味で
使われていることに驚きを感じます。

 

仮名は、
外側・型をあらわす「仮の名前」。
それに対して真名は、
実質中身をあらわす「真の名称」です。

 

単なる文字言葉であれば、
仮名に過ぎません。
生きた中身」を伴わない
型・カタチ
でしかないのです。

 

たとえば、「井戸」と言うからには、
外側の四角や
丸い「囲い」が
真の井戸ではありません。
その型の中に
真新しい水が入っていてこそ、
本当の井戸という
きた役割が果たせます。

 

そして、どの井戸の水も、
根源的な大河から
流れ入ってくるのです。

 

私たちの身体も、
まさに「井戸」です。
そして、いかなる井戸にも
公平に
」という命の水が
流れ入って来ています。天の大河から。

 

このように、
」という命の水が
ちゃんと流れ入っている「井戸」のことを、
真名井」と言います。
真名井の奥には、
肉眼では見えない
天の光の大河」が流れています。

 

先生・生徒・弟子という文字表現は、
単なる「仮名」です。
~大学、~会社、~寺院、
それらも単なる仮名です。

 

森羅万象の事物は全て、
外側の型・カタチだけでは存在できず、
必ずそこには、
その型自体を生かそうとする「」が
流れ続けていなくては
ならないのです。

 

仮名を輝かそうとするのが
世間の常ですが、
真名を輝かせていくことだけが
生きる真髄です。

 

鉱物・動植物・人の身体の中には、
必ず「」が流れています。
花、虫、魚、動物という
表面だけを見るなら、
山田花子という表面だけを見るなら、
「仮名」です。

 

アマテラス神という言葉だけなら
「仮名」なのです。

 

光という「真名」が、
様々な仮名という型の中で、
その愛の姿を輝かせていないならば、
【天の岩戸ごもり】状態です。
もしかしたら、
あなたも?

 

そして、いかなるジャンルであれ、
師に教えを乞う時は、
その師が背負っている
「天の光の大河」にまで参入し、
大河に合体
しなくてはなりません。

 

肩書や世間的な功績などの
「仮名」はどうでもよく、
その師の「真名井」を成り立たせている
中身の実質」に
触れて参入しなくてはなりません。

 

氏名などの
仮名にまどわされることなく、
真名井の奥の「光の大河」にまで
完全に入りきる
ことが肝要です。

 

「仮名」の消滅や変更はあっても、
実質的な「真名」の
消滅はありません。

 

花が虫を食べようと、
大魚が小魚を飲み込もうと、
私たちが牛肉を頂こうと、
そこには「の融合」
真名の融合」
の融合」があるだけです。

つまり、
光の統合(命の融合)ですから、
悲しんだり、
葛藤するようなこと
ではありません。

 

花や、虫や、動植物も、
それ自身の「真名」を、
他の仮名を通じて
実質中身へと入って融合するだけですから、

決して自らの光
消滅させたわけではないのです。

 

自分の命など
どこにも無い。
あるのは「全体いのち」だけだと
彼らは知っているのです。

 

「真名」とは、
「全体で共に栄えて生きよう!」
とする光のことです。

 

全体のために、
自らを明け渡して生きようとする「光」が、
他の色々な「仮名」から入り込み、
他の「真名」&「光の大河」の中で
ますます進化して生きるのです。

 

自らの真名を消すことなく、
他の真名に融合して、もっと偉大な光の大河になり、
その愛と叡智の光を
さらに
生かし続けていくのです。

 

ですから、
私たちも何かを食する時は、
お命の光を、召し頂きます」と
合掌し、感謝するわけです。
召し=飯(めし)です。

 

私たちは、
全体と融合することなしには
これ以上の進化など
できません!!!

 

 

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